2018年1月4日木曜日

景気はイイ?


 ふと考えてみると、このブログには景気の良い話が無い。

 〈少欲知足〉とか、〈諸行無常〉とか、「あなたの望みは

叶わない」とか、「足りないものは満足だけ」なんて事ばか

り言ってるので、景気の良くなりようが無い。

 ちょっと景気のイイ話も必要じゃないかと・・。


 とはいえ、私が書くのだから、普通に景気の良い話になる

はずもない。「わたしたちは経済に支配されている」なんて

言ってる人間ですからね。

 「景気が良い」のは、破滅へ急ぐようなもの。「景気がお

となしい」ぐらいにしといた方が、世のため人のためです。


 ・・・・・・・・・。

 だめだ。やっぱり景気よくならない。

 物の見方が完全に、外れてる。

 私は、ある意味〔外人〕なのだ。

 ならば、〔外人〕にとっての「景気の良さ」というものは

無いのか?


   しなければならないことは無く

   おだやかな陽射しの下で

   木々から届く葉擦れの音を聴きながら

   公園のベンチで小鳥が遊ぶ姿を楽しんでいる


 嗚呼。なんと景気が良いことか。
 

 ・・・・・・・。

 これのどこらへんが、「景気が良い」というのでしょう?


 景気が良いんですよ。だって、満ち足りているんですか

ら。

 こんなに満ち足りてる状態もない。

 大満足。

 完璧。

 これに満足出来なければ、三百年生きたって満足出来ない

でしょう。

 世界一の美女や世界一の富豪と結婚しても、地球上のあら

ゆる秘境と極地を冒険しつくしても、千日回峰を何十回達成

しても、宇宙の謎をすべて解き明かしても、たとえ “神” に

出会っても・・・。


 どんな偉大な事を成し得ることよりも。

 “神” に出会うことよりも。

 いま、ここで、自分を成して。

 いま、ここで、“いま、ここ” に出会うこと。

 それ以上の事は無い。


 “それ” は、何をもってしても買う事は出来ない。

 “それ” は、あらゆる評価から無縁。

 ”それ” は、何処を探しても無い。

 “それ” は、“神” も与えることが出来ない  常に与えて

あるので。


 こたつに入ってミカンを食べ、ゴロンと横になって天井を

見上げる・・・。満ち足りてる・・・。十二分に・・・。


 自転車に乗って近所のスーパーに買い物に出かける。気持

ちのイイ風が、頬をなでる・・・。満ち足りてる・・・。十

二分に・・・。


 やんちゃな我が子に、笑いながらお尻を思いっきり叩かれ

る・・・。満ち足りてる・・・。十二分に・・・。


 余命一ヶ月。病院のベットで、窓から差し込む陽射しの明

るさに気付く・・・。満ち足りてる・・・。存分に・・・。


 いわゆる「景気の良さ」とは違うところに、私の思う『景

気の良さ』はある。

 この世界には、“この世界にあるすべてのもの” が在る。

 その当たり前が、奇跡。

 それを分からない人間が、バタバタと走り回り、土ぼこり

を舞い上げ、見えるはずのものが見えなくなる。他人の視界

さえ遮る。


 何を見ればいいのか?

 何に出会えばいいのか?

 何をすればいいのか?

 人は知らないはずだ。

 それならば、静かに座り、見えて来るものを見ればいい。

 現れるものに出会えばいい。

 せざるを得ないことをすればいい。


 何も知らないまま出かけて行けば、迷うのは必至だ。

 何も分からないまま、何かを見ても、何かを手に入れて

も、道に迷ったままでどうするというのか?


 「景気が良い」というのは、“何かがよく動いてる状態”

です。人は、“動き” が見たいだけなんです。

 でも、動こうが動くまいが、すべては目の前にある。

 “すべて” がある。

 それを見ればいい。

 もちろん、全部は見えない。隠れているものもある。地球

の裏側は見えないけれど、それを見ようというのはただの欲

張りだし、身の程知らずというもの。

 見えていないものも含めて、“すべて” を見ればいい。

 何も隠されていない。


 空は青い。




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