2018年1月25日木曜日

「想定」の限界について


 1月23日、群馬県の草津白根山が噴火して、自衛隊員とス

キー客が死傷した。

 観測対象にしていた火口とは違う、想定外の場所からの噴

火だったそうだ。

 いつの頃からか、自然災害や事故で犠牲者が出る度に、

「想定外」という言葉が使われ、同時に「想定に甘さはなか

ったか?」といった話が出る。けれど、「想定外」だからこ

そ犠牲者が出るのであって、想定が甘いわけではなかろう。

 もとより「犠牲が出る可能性は想定していた」などという

ことは、口が裂けても言えるわけが無い。言えば、袋叩きに

会うのは必至だからね。まぁ、そんな意地の悪い見方をせず

とも、普通の人間の心情であれば、「犠牲が出る可能性」を

想定していたら、そのままにしておけるわけが無い。やは

り、「想定外」であればこそ犠牲が出るのだ。
 

 そもそも、なんらかの危険や不快を回避するために、どれ

ほど「想定」を進めてもキリが無い。「想定」を広げ過ぎる

と、今度は小さな所に目が届かなくなったりする。「背後を

取られる」といった事が起り始める。

 今回の件に関しても、「火山の監視体制が行き届いていな

いんじゃないのか?」とか、「いざという時に備えて、もっ

とシエルターを作っておくべきではないのか?」とか言い出

す人がいることだろう。

 けれど、日本の火山の数からすれば、火山研究者の数は全

然足りていないそうだし、観測網を整備するお金もまったく

足りない。

 シエルターを日本中の火山に作るのも、非現実的な話だ

し、景観の破壊だろう。人間が破壊されるのを回避するため

に、自然を破壊することがどこまで許されるのか? また、

それが新たな問題を生み出さないとも限らない。



 亡くなった自衛官と、そのご家族は気の毒だし、ケガをし

た人たちも気の毒だ。それは確かにそうだ。

 ただ、こういった事が起きる度に思うのです。

 「仕方ない事は、仕方ない」と。



 生きている限り、リスクは無くならない。

 リスクがゼロになれば、人はたぶん生きている実感を失う

だろう。危ういからこそ、危うさから免れていることに喜び

が持てるのだから。

 それに、リスクを減らそうとする行いは、必ず別の問題や

リスクを生み出すと考えておいて間違いない。



 例えば、インフルエンザを回避するために、ワクチンを打

つ人は多いけれど、ワクチンの副作用だってある。ワクチン

で獲得できる免疫は、自然感染による免疫より弱いので、強

い免疫力を獲得するチャンスを減らす、と言う専門家もい

る。それに、インフルエンザで寝込んで、たまに仕事を休ん

だりする事が、過労などから大きな病気になるリスクを減ら

しているのかも知れない。

 (これは、私個人の経験からの話ですが、四年前から「糖

質制限」をしていて、それから風邪を引いたことがありませ

ん。風邪に限らず、あらゆる〈炎症〉が起き難くなりまし

た。どうも、血糖値が高いと免疫活性が落ち、免疫細胞が、

サイトカインなどの物質を異常に放出して、炎症が激しく起

こる様です。ですから、ワクチンを打つよりも、「糖質制

限」をした方が、インフルエンザの予防には効果的だと思い

ます。アトピーや花粉症などにも。・・余談ですが)
 

 東日本大震災クラスの津波を防ぐ為に、30mの防波堤を

作れば安心ですが、それは何をもたらすでしょう?

 景観を破壊し、風の流れを変え、建造費と維持費に莫大な

経費を使わねばならず、その他にも、実際に作ってみて初め

て分かる問題もあるでしょう。

 エネルギー問題を解決する為に、太陽光パネルを広範囲に

敷き詰めると、きっと気象に影響を与えるだろうと思いま

す。今まで、地上に届いて地面を温めていた陽射しが、遮ら

れるのですから。


 さまざまな局面で、人はリスクを避けたがりますが、ある

程度のところで手を打っておかないと、却ってややこしい問

題を生み出す様に思うのです。


 「想定」して、「危機管理」をして、「安心安全」を実現

して、リスクをゼロにして・・・。

 そんな事が本当に可能だと思っているのなら、「人と

は?」、「生きるとは?」といったことをキチンと考えて

みたことも無い、幼稚な品性だと思うし、しあわせを逃し続

けることになると思いますね。

 (ただし、福島原発の事故に関しては、『全電源喪失』
 
  なんて、「想定外」では済まされないですけどね)




0 件のコメント:

コメントを投稿