2017年12月20日水曜日

ビットコイン~また、やってら。


 ビットコインのことが、しばしば話題になる。

 私には全然関係ない話で他人事だけど、まぁ、人は歴史か

ら学ばないということを改めて確認する事柄ではあります。

 日本でバブルがはじけたのは、たった三十年ほど前だし、

リーマンショックはついこの間。ほんの少し歴史を振り返れ

ば、ビットコインの盛り上がりは “狂乱” だと分かるはずな

んだけど、やってる連中は自分のアタマの中のアドレナリン

やらドーパミンやらに陶酔して、もう後戻りが出来ないんだ

な。乱痴気騒ぎが終るのは、もうすぐだろうけど。


 金を儲けるということについて、随分昔(平成6年)に新

聞に投書したものが採用された事がある。今読み返しても古

くなっていないので、ちょっとここに載せてみよう。


 相変わらずの不況で、誰もが物価が下がること、収入が増

える事を望んでいるが、よく考えてみるとそんなことはあり

得ない。

 そもそも物には値段はなく、物の値段とはそれに関わった

人の手間賃だから、ある人の給料が上がればその人の関わる

物の値段が上がり、それを買う人は値上がりした分だけ自分

給料が上がらねばならない。そうなると、その分また物価

上がる。そうして物価と給料は同じだけ上がり続ける。

「ご苦労さん」のいたちごっこだ。

 もし物価の上昇より収入の上昇の方が大きいというのな

ら、それは誰かが搾取されているからだ。日本が富むために

アジアが、欧米が富むためにアフリカや南米が、人間が富む

ために自然が、というように。

 他人を食ってでも物質的に栄える方が好きだと言うなら仕

方ないが、その強がりの裏で、われわれは疲れ切っていると

言うのが、正直なところではないだろうか。


 という文章だけど、人が他人より儲ける為には、誰かか

ら・何かから搾取しない限りはまず不可能だ。


 先日、ネパールの奥地の不毛の土地で稲作などの農業を成

功させ、貧しい地域を救った日本人のエピソードをテレビで

観たけれど、搾取せずに豊かになった奇跡的な例だろう。

 普通に農業を始める場合、田畑を広げても、果樹園を広げ

ても、もともとそこに棲んでいる生き物から、生息場所を奪

う事になる。それは搾取です。

 例えば、焼畑農業には二種類あって、ひとつは森を焼いて

畑にし、数年使った後に別の場所へ移動して、畑は森へ還す

いうやり方で、ただ人間が移動して行くだけで、そこに搾

は無い。

 もうひとつは、森を焼いて畑をどんどん広げて行く  

マゾンなどで行われている  やり方で、ひたすら森から搾

取し続けて行く。そして、人が増えるか、経済的に富を増や

すかしてゆく。そして同じ事が、人間同士の間で行われるの

が、いわゆる経済活動。


 権力や武力を握った者や、世渡りの上手い者が立場の弱い

人間の〈本来性〉を食い広げて、一方的に富んで行き、弱い

者は物理的に経済的に、あるいは精神的に住処を奪われてゆ

く。

 しかも、これは人間同士の間だけでは収まらず、必ず自然

破壊を伴う。

 「豊かになりたい!」という欲求は、〈余剰〉を生み出す

ことの陶酔に他ならないから。

 自然から収奪しなければ、〈余剰〉は生み出せないから。

 (先のネパールの例などを除いて)


 人間はエゴイスティックな喜びを得たいが為に、数千年前

から相も変わらず余計な事をして、自然と同胞を引っ掻き回

している。


 ビットコインで儲けて、ヘラヘラ笑っている連中をテレビ

で観ながら、「あぁ。人間だなぁ」と、こちらは「フッ」と

笑う。

 「ご苦労さん!」

 (ほんとの「ご苦労」はこれからだろうだけどね)




0 件のコメント:

コメントを投稿