2017年12月2日土曜日

「バックパッキング教書」という本のこと


 『バックパッキング教書』という本があるんです。

 シェリダン・アンダーソンというアメリカのイラストレー

ターと田淵義雄というアウトドア系作家の共著です(二人は

友人。シェリダンは早くに亡くなった)。

 晶文社刊で1982年に初版が出て、私が買ったのは1987

年ですから、丁度三十年前ですね。

 タイトルの通り、シンプルなアウトドアの指南書という体

裁なんですが、内容は結構深く、アタマでっかちになってし

まってる現代人に、「自然に帰った方がいいんじゃない?」

と呼びかける名著です。(たぶん今でも版を重ねているでし

ょう)


 前半は、シェリダンによるマンガなんですが、その冒頭は

こんな言葉で始まります。

 「昔、人間は都市という生活環境を発明した。だけどその

ときからすでに、人間はなんとかこの生活環境から逃げだそ

うといろんなことを試みてきた。最良の方法は、そこから逃

げ出しちゃうことである。」

 ということで、「パックを背負って自然の中へ」という話

になるのですが、その内容はアウトドアをテーマにしながら

も、人の生き方そのものに迫っていきます。


 (養老孟司先生は「都市とは、人間の脳の中にある物を、

外に出したものである」と言い、「人は、自分たちのアタマ

の中に住んでいる」と言います。

 「都市から逃げ出す」ということは、「アタマの支配から

逃げ出す」というのと同義です)


 バックパッキングという行為を通して、身体とその感覚を

メインにした在り方に触れ、「アタマの描く喜びとは違う、

人間の本質的な喜びを感じてみようよ」とシェリダンと義雄

は誘います。


 「衣・食・住」と、ほんの僅かな娯楽を自分で担いで、自

分の足で歩いてみる。

 自分で担ぐので、余分な物は持って行けない。持てば持つ

ほど、自分がしんどい思いをすることになるので、おのずと

持ち物はシンプルになる。

 そのシンプルな旅の中で感じる、面白さと喜びがある。
 

 本の後半は、義雄によるアウトドア指南を兼ねたエッセイ

になっているが、その中で「バックパッキングとは、何を持

っていかないか・・・という策術のことである」というシェ

リダンの言葉に添え、こう語る。

 《頭はいつも「何を持っていけばいい?」と考えてしま

  う。「何を持っていかないか?」と考えるよりもその

  方が簡単なのだ。夏の炎天下の草いきれのアプローチ

  をノロノロ地をはうように歩いてみなければ、やっぱ

  り積みすぎたがるのだ。》


 わたしたちは、いつも「積みすぎる」。積みすぎて苦しん

でいるのに、「周りもそうだから」と、そのことに気付けな

い。アタマは「積むこと」ばかりを考え、それを身体に要求

する。

 遊びを積み上げ、仕事を積み上げ、金を積み上げ、見栄を

積み上げ、心配を積み上げ、安心安全を積み上げ、強さや賢

さを積み上げ、“積み上げることができる自分” に酔う。

 けれど、自分で担ぐことができるものは、バックパッキン

グ同様、僅かなものでしかない。

 現代人が積み上げているものは、自分の力で支えているの

ではなくて、化石燃料や経済の流れの力によるのである。け

れど、当人たちは「自分の力」だと思っている。

 流れが変わってしまえば、持ち去られたり、崩れ落ちたり

するものでしかないのに・・・。


 積んだものではなく、“自分の身体” という与えられたも

のを確かめ、“世界(自然)” という始めから用意されてい

るものを確かめ、“身体” と “世界” という、持ち去られるこ

ともなく作り物でもないものが、自分に与えられている事に

気付く為に、「自分で担いで、自分の足で歩いてみる」。目

的もなく。


 『バックパッキング教書』は、初版から35年経つけれ

ど、紹介されているグッズが少し古めかしい事や、合成洗剤

に対する批判を除けば、その内容は普遍的で、少しも古くな

い。

 田淵義雄による、

 《カメラはあればどうしてもシャッターを押しておきたい

気持ちにさせられる、厄介な代物である。(中略)いちばん

美しくて神秘的な時を、ファインダーでのぞいてるなんて、

ほんとはすごく馬鹿げたことをしているんじゃないだろう

か。(中略)直接自分の心と目に大切なものを焼きつけたほ

うが、本当は価値があるかもしれないのである。》

 という、「インスタ映え」なんて言葉が流行語になる現代

に、キツ~イお灸をすえる様な言葉もある。


 『バックパッキング教書』は、私が大きな影響を受けた一

冊であり、息苦しさを感じる現代人に読まれる価値が有る名

著である。



 《 自分は、「要らないもの」を「要る」と思わされ、

「要らないもの」を「要ると思って」担ぎながら歩き続けて

いるんじゃないか 》と、ちょっと疑ってみましょうとい

う、シェリダンと義雄と私からのお誘いでした。





0 件のコメント:

コメントを投稿