2017年12月8日金曜日

「塞翁が馬」の幸運と幸福


 「幸運」と「幸福」は何が違うか?

 そんなこと考えたことがありますか?



 たいていの人は、「幸運」は「幸福」だと考えていること

でしょう。確かに「幸福をもたらす事を幸運という」のであ

れば、「幸運」は「幸福」です。けれど、一般的には「幸

運」は宝くじに当たるとか、素敵な彼氏にめぐり合ったとか

いう様な、喜ばしい、ラッキーな出来事に恵まれることを指

すと思います。

 「幸運」にめぐり合うと、誰でも喜びます。誰でも「幸

運」にめぐり合いたい。私もめぐり合いたい。けれど、「幸

運」=「幸福」ではありませんね。

 「幸運」とは、「幸福」だと感じやすい運命という事にと

まります。同じ様に、「不運」とは、「不幸」だと感じや

すい運命のことであって、「不運」=「不幸」ではありませ

ん。


 「金持ちの家に生まれた」。「幸運」ですが「幸福」では

ありません。

 「天才的な頭脳の持ち主として生まれた」。「幸運」です

ね。でも「幸福」とは違う話です。

 「わたしは、すれ違う人が振り返る様な美人だ」。「幸

運」なのでしょう。けれど「幸福」だというわけではありま

せん。


 「ガンになった」。「不運」ですけど「不幸」ではありま

せん。

 「災害で家を失った」。「不運」ですが「不幸」ではあり

ません。

 「通り魔に子供を殺された」。・・・・「不運」であり、

やはり「不幸」でもあるでしょう・・・。けれど、「不幸」

のままにとどまり続けて欲しくはない・・・。


 何を言わんとしてるかは、もうお分かりでしょうが、『人

間万事塞翁が馬』の故事にあるように、一見、「幸運」や

「不運」に見える出来事が、必ずしも「幸運」=「幸福」、

「不運」=「不幸」というようには直結しない。

 出来事の流れの中の一つの印象で、安直に幸・不幸を判断

するのは浅はかだということです。

 『塞翁が馬』の教えは確かにその通りだと思います。「不

運」にめぐり合わせても、すぐ「不幸」と感じてはいけな

い。物事は動いて行くので、その「不運」は次の「幸運」を

もたらすキッカケかも知れない。「不運」だからといって、

「不幸」を感じていてはいけない・・・、けれど・・・。

だったら、一体いつ「幸福」になったらいいのか?


 「ラッキー!」と思える事があっても、「いやいや、こん

な事で喜んでいてはいけない。これがぬか喜びになるような

出来事が起こるかもしれない」と思い始めたら、「ラッキ

ー!」があっても、何も喜べなくなってしまう。 

 「幸運」を単純に「幸福」だと思わない様にすることは、

人生の智恵ではあります。浮かれていて、バカなことをしで

かしてしまうのはよくあるパターンですからね。

 けれど、『塞翁が馬』の智恵は「不運」をやり過ごして、

「不幸」に落ち込まない様にするには良い考えだけど、それ

では「幸福」が何処かへ行ってしまう。それはちょっと困る

んじゃないか?

 “塞翁” はどうやって「幸福」になるのでしょう?


 “塞翁” は普通に人が考える「幸・不幸」を、「幸福」と

も「不幸」とも思っていないんでしょうね。

 「それは単なる出来事に過ぎない」とでも思っているので

しょう。

 「運・不運に揺さぶられないところに、本当の幸福があ

る」というのが、“塞翁” の立場なんだろうなと思います。

 たぶん、死でさえも「運・不運」に関わらない。「運・不

運」自体が存在しない。「運・不運」などというものは、人

のエピソードの飾り程度の意味しかないのでしょう。


 どんな出来事の中にあっても、自分に親しみ、自分を見守

り、自分と自分を取り巻く世界を慈しむ。

 馬は去り、馬は帰る。

 出来事は起こり、出来事は消える。

 それを見ている自分が居る。

 出来事に巻き込まれない自分が居る。


 『塞翁が馬』の故事は、(アタマの中の)馬を降りて自分

に立ち返ることを教える。

 “万事”   すべての出来事は、去来する馬の様なものな

んだと。





 

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