2019年3月21日木曜日

「幸福度58位」だそうだ



 国連の「幸福度調査」とやらで、日本は58位になったそ

うだ。「どこがクールジャパンだ!」なんて思いますが、あ

る意味「クール」なのかもしれない。


 「選択の自由度」とか「寛容度」が低いと見做されたこと

が、順位を下げている要因だそうですが、日本社会の同調圧

力の強さや管理主義を考えると、そうかもしれないとは思

う。ただ、このランキングには、キリスト教文化圏の個人主

義などの価値感が色濃く反映されているんじゃないだろう

か。そういう文化的な価値感の違いを踏まえた上で、こうい

う情報は捉えた方がいいだろうね。「寛容度」にしたって、

それぞれの国の国民性や民族的背景で、「寛容さ」を示す対

象が変わるだろうし、お互いにその違いは理解しにくいだろ

う。

 「選択の自由度」にしたって、アメリカやヨーロッパの人

間は、やたら「選択、選択」と口走って、「物事は自分で決

める」人種であるのに対して、日本人は「おかげさま」で、

「和を以て、尊しとなす」でやって来たわけですからね。同

じ価値観で量るのは無理があるでしょう。別に日本が何位だ

って構わないけどね。


 こういったランキングで、女性の社会進出というか男女の

社会的平等性を示すものがありますね。企業の経営者に女性

が占める割合とか、政治家の何パーセントが女性かといった

ことを指標にして、女性が男性と平等に扱われているかどう

かランキングする。

 こちらの方でも、日本は順位が低い。

 けれど、社会進出することが良いことなんですか? どこ

からそういう公式見解がでて来たのですか? 昨日「新社会

人」について書きましたけど、女性の社会進出だって、うま

く乗せられて、社会に利用されてしまっているのかもしれな

いじゃないですか。専業主婦でしあわせを感じて生きている

人はいっぱいいるでしょうしね。

 「社会に出てくる」=「良いこと」というのは、偏狭な価

値感だと思いますよ。

 「社会に出たくない人」「社会に出る必要を感じない人」

や「その国や民族なりの男女の役割分担が上手く成立して、

機能している社会」に対する、「寛容さ」を欠いているんじ

ゃないでしょうか?


 キリスト教文化圏の人は、自分たちの価値感を、独善的に

他の社会に押し付けてくるきらいがあります。

 “男女の性差を社会に反映する” という「選択の自由度」

や「寛容さ」は認められないのでしょうか? えらく「不自

由」で「不寛容」ですね。


 確かにね、社会的に見て不利益・不公平な立場を強いられ

ている人に発言の機会が与えられていないとかいった事は、

無くさなければならないと思いますよ。けれど、国連という

場で支配的な価値観が、人類共通の「善」とされるのは違う

でしょう。国連なんて所詮政治の場じゃないですか。

 女性に(男性にもですが)「社会に出ることが善」という

価値観を植え付けて、社会を動かす為に利用しようというこ

とに成功した社会は、当然それを正当化して、敷衍して行き

たいでしょう。もっとも、この手のランキングを作る人間

は、大真面目でそれが「善」だと思っている事でしょうけ

ど。


 「幸福度ランキング」だって余計なお世話だし、そもそも

「幸福な社会」に暮らす人ひとりひとりが、本当に、どのよ

うに・どの程度「幸福」かなんて調べようがないですよね。

「幸福」は個人の内面のことですから。

 (とはいえ、紛争地であるとか、あきらかに女性や子供や

ある種の人々が虐げられているという国や地域はありますか

ら、それは「幸福な社会」とは言えないし、そこに暮らして

「幸福」を感じるのが難しいのは確かでしょう)


 日本の自殺率なんかを考えると、日本は「幸福な社会」で

はないだろうとは思いますけどね。孤独を感じている人の割

合も、ダントツに高いそうですし。

 けれど、それらも他の国にくらべて「自殺に対するハード

ルが低い」とか、「孤独という概念が違っている為に、“孤

独だと感じる人” が他の国よりも多い」という文化的背景も

あり得るでしょう。昔っから「個人主義」の国と、もともと

「家社会」を長くやっていた国では、孤独を感じるシチュエ

ションが違っていても不思議じゃない。

 そういう文化的背景や歴史は無視して、自分たちの作った

基準ですべてを比較しようなんて、独善的でイヤラシイと思

いますけどね。


 そもそも、「“社会” が『幸福』ということに口出しする

んじゃねぇ!」と思いますね。

“社会” は、個人を幸福にはしないんだから。


 まぁ、今の日本が「不寛容」で「不自由」なのは、本当だ

とは思いますね。キモチ悪い世の中になりました。

 外国のことはよく知りませんが、どの国にしても似たよう

なものでしょう。それぞれに違いはあっても、所詮人間のや

ることです。人間が集まって社会を作るのですから、良いこ

とばかりのはずが無い。今、良い国でも、たまたま「今が良

い」時期だというに過ぎないかもしれませんし。


 人はみんな “出来損ない” です。

 “出来損ない” 同士が、比べ合って、批判し合って、裁き

合っても仕方がないと思うんだけど、“社会” とやらがそう

仕向けるんですね。おだてたり、すかしたり・・。


 「幸福な社会」なんてあるのでしょうか?

 「暮らしやすい社会」というのはあるでしょうが、「幸福

な社会」は無いでしょうね。「幸福」という言葉は、個人に

対して使われるものだと思いますね。





 

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