2019年3月9日土曜日

「バカ」はアタマが悪い



 今までに書いたものを読み返すと、「コイツ、ほんと訳わ

かんない」と自分でも思ったりする。これじゃ、何が言いた

いのか伝わんないだろうと思うけれど、それはそれで、まぁ

い。べつに仕事じゃないんだし、誰かに採点してもらう必

も希望も無い。「バーカ!」と思われたとしても、それだ

のことだし。

 そんなことより、全体として訳が分からない文章だとし

も、その中のある一行に誰かが目をひらかれて、気分が良

なる可能性が大事だと思ってる。だから、訳が分かんなく

ろうとも、(世間的に)変な事を書いた方がいい。変なこ

は「引っかかる」からね。スルーしにくい。

 「なんだこりゃ?」と思わせたら、つかみは OK!

 それで「バーカ!」と思われるか、「ふ~ん・・」と思わ

れるかは縁次第だから、私の知ったこっちゃない。どうせ人

は、聞きたい事だけを聞いて、分かりたい事だけを分かろう

とするものだから、自分の言動に対する人の評価なんて、あ

んまり相手にするもんじゃないと思ってる。ただただ、良い

ご縁があれば誰かの為になると思うだけ。『バカと鋏は使い

よう』(こういう言葉は、今や “炎上系” なんだろうな。メ

ンドクセエなぁ)などとも言うし。


 何か意見を言おうものなら、「おまえの言ってる事は正し

い」とか「正しくない」とか、すぐにまな板に載せられる。

「正しい」かどうかでものを判断するアタマの性癖にはほと

ほとウンザリする。だから私は《「正しい」とは、そういう

ことにしておけば気が済むということ》という言葉を用意し

てあるわけです。

 自分の言動をまな板に載せられそうになったら、「その前

にひとまずこれをどうぞ」とこの言葉を差し出す・・。そし

て「さばけるもんならさばいてみろ」と、ほくそ笑む。


 実生活では、実際にはそういう局面はまず無いですけど

ね。

 メンドクサイですからね。そういう局面からは逃げる。意

見なんて言わない。さっきも書いたように、相手がこっちの

話を聞く気があることなんか滅多にないんですから  こっ

ちも聞いてないけどね。


 話し合いや議論が行われても、それが理解し合うことにつ

ながる可能性はとてもとても低い。みんな自分の方が変わる

のはイヤですから。

 人と人が話していても、やってることは “独り言の応酬” 

でしかないというのが実体でしょう。それを議論とかコミュ

ニケーションとか呼んだりして御満悦なのは、横から見てる

とお笑いです。だから、ケンカにならないように、普段して

いる話は、どこかの誰かの噂話か、共通の敵の悪口なんです

ね。自分に関係ない話をしているぶんには、自分が変わらな

ければならない局面には遭遇しませんから。


 みんなそういう風に人と話をしているんだから、自分の意

見を通そうなんて思うのは、とんでもない事だと思うんだけ

ど、自身のエゴが傷付けられそうに感じると、通そうとする

んですよねぇ。みんなワガママだから。ろくでもない結果し

か出ないんだけど。


 「お互いに出来損ないなんだから、ムキにならずにほどほ

どで行きましょう」っていう風になるのが一番いいんだけど

ぁ。

 お互いさまなんだから、自分がバカでもいいのにね。そん

なに、自分を「バカだ!」と評価することを怖れなくてもい

いんだけど、 それこそ、アタマが悪いんだからしょうがな

いか。「自分のアタマが悪い」ということを受け入れられな

い事が、根本的なアタマの悪さだからね。


 ここまで書けば、このブログを見た人が「コイツ、あたま

が悪いな」と気安く断ずることはしにくくなるんじゃないだ

ろうか。

 実のところ、私も「あたまが悪い」とは思われたくはな

い。

 悪いのは、私の “アタマ” であって 、私の “あたま” では

ないですからね。

 みんな “アタマ” が悪いんだけど、それぞれの人とその人

の “アタマ” は別ですから、その人を否定するのはお門違い

です。


 子供が口ゲンカして、よくこう言いますね。

 「バカって言う方がバカだ!」

 あれは、言い得てますよ。

 「バカ」なんていう言葉は、この世に必要なかったんじゃ

ないでしょうか。

 でも、それぞれの言語で真っ先に作られた言葉の一つのよ

うな気がするなぁ。だって、人間のアタマは悪いからねぇ

・・・・・。








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