2019年3月17日日曜日

ニュージーランドでテロのニュース・・・



 ニュージーランドのモスクでの無差別殺人が、世界的なニ

ュースになっているようですね。このニュースを知った人間

の中には、喜んでる者も大勢いるのでしょうね。


 こんな事がいつまで続くのか? 


 人が存在する限り続くのでしょうね。

 昔も今も、テロであれ戦争であれ個人的な恨みであれ、世

界中で殺人が繰り返されるけれど、それは結局エゴの暴走に

よって起る。わたしたち人間は、全人類が滅びるまでこのま

ま愚かなのだろうか・・・。アタマが悪いままで終わってし

まうのだろうか?


 バカバカしいですね・・。愚かですね・・。やり切れない

ですね・・。暗澹たる気持ちになりますね・・。けれど、こ

の事件をリアルに受け止めてはいない自分が居る。私にとっ

ては、この事件も、ほとんど “ニュース” の一つでしかな

い・・・。

 こういう出来事を、ひとつひとつまともに受け止めていて

は、こちらの身が持たない。精神的な負担が多すぎる。これ

も情報化社会の弊害の一つかもしれない。

 知ってしまう出来事の量が多すぎて、事実に対する人の反

応がどんどん浅くなっているようです。世界の出来事が、た

だの “お話” になってしまっている・・・(とは言え、知ら

なければ “お話” にもならない。わたしたちが多くを知るこ

とになった事が、人を何処へ導いて行くのか・・・)。その

一方で、個人的な事柄に対する反応は過剰さを増しているよ

うにも思いますが・・。


 私はこのブログの中で、「世の中は “お話” に過ぎない」

ということをさんざん書いて来ました。だったら、今回の事

件も “お話” で、それだけの事だと済ませられるかといえ

ば、そういうことではありません。

 「世の中は “お話” に過ぎない」

 けれど、“お話” には「気分の良いもの」と「気分の悪い

もの」がある。こういう、人間の愚かさ、アタマの悪さがモ

ロに出てくるものは気分が悪い。


 そんなこと “お話” なんだから超然としていればよさそう

なものだけれど、人として生きている身としては、それでは

人として生きている意味が無い。こういうことで感情を乱さ

れてしまう事は、人として生まれた限り、受け止めるべきだ

と思う。ただし、その受け止め方は、人を非難したり断罪し

たりするのではなくて、「アタマの暴走をどうするか?」と

いうことに目を向けることでありたい(当事者でなければ

ね・・)。

 「憎しみの連鎖を止める」というのではなく、もっと広い

視点で、わたしたちの「思考」と「感情」の暴走の根っ子を

押さえたい。


 何千年も、あるいは何万年も、わたしたちはアタマ(エ

ゴ)に惑わされ続けている。

 アタマによって種を存続させつつ、アタマによって苦しみ

続けている。いいかげん、賢くなれないものだろうか?

 なにも「私は賢い」と言っているのじゃない。せめて、す

べての人間が「自分は、“人間” という愚かな存在のひとつ

だ」ということをわきまえておくという程度の賢さを、身に

付けられないものだろうかと思うのです。個人レベルでどう

こうということではない。


 「人間は一人残らず愚かである」

 「誰も彼も、自分も、 “何が正しいか” を知らない」とい

う共通認識が生まれない限り、こんなことは続く・・・。


 わたしたちのアタマは悪い。ほんとうに悪い。


 自分を生かそうとして、自分の “正しさ” に従い、他者を

価値の無いものとみなす。

 自分を生かそうとして、自分の “正しさ” に従い、本当の

《自分》の価値に気付けない。


 わたしたちを苦しめているのは、他の民族や、他の国の人

間や、違う人種や、違う宗教の人間や、社会や、自然災害

や、病気ではなく、わたしたちが後生大事に抱え込んでいる

自分たちのエゴ(アタマ)なのだと、わたしたちの多くの先

達が教え遺してくれている。

 けれど、エゴはそれを自分の都合の良いように、すり替え

る。進んで曲解する。エゴは狡猾です。


 「わたしは悟った」と一人超然としているのなら、それは

石ころになったのと同じです。

 けれど、「わたしは人である」と言って、人として今まで

通り “人間的” に振る舞うのなら、苦しみはいつまでも続

く。


 わたしたちは、人でありながら、人(エゴ)を超えなくて

はならない。 

 人でありながら、人(エゴ)を捨てなくてはならない。

 そうしてはじめて、人は “人” になる。


  『妖怪人間ベム』という、面白いアニメがありました

ね。

 「早く人間になりたい!」

 オープニングのテーマ曲の中で、ベムがそう叫ぶ。

 けれど、人間にあこがれた妖怪人間たちは、人間のエゴの

醜さを知って、そのあこがれに疑いを持つ・・・、そんなス

トーリーだったように思います。


 わたしたちは、『妖怪人間』にも失望されたまま、“人” 

にもなれず、アタマ(エゴ)に惑わされたまま、生き続けて

行くのでしょうか?


 見ず知らずのニュージーランドのテロ(ということらしい

ですが)の犠牲者とその家族たちに対して、正直言って、私

は感情移入はできません。そこに、リアルな個人を思い描け

ないのです。

 私が思い描けるのは、「ああ、またアタマが愚かなことを

やらかしたな・・・」ということだけです。

 願わくば、犠牲者の遺族や関係者たちのアタマが、犯人の

アタマの暴走から悪影響を受けませんように・・・。


 人というものは、本来、静かで穏やかなものだと思います

よ。本来はね・・・。




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