2019年3月11日月曜日

3月11日。



 また3月11日が来た。あの想像を絶する津波と原発事故

から8年が経ち、被災地以外の場所では、日本にはそんなこ

となど無かったかのように人々が暮らしている。

  被災した人からすれば、そのような日常の光景は「震災

の記憶が風化していく・・」という疎外感を抱かせる面があ

るだろう。

 「自分たちはあんなに苦しい思いをし、それは今も続いて

いるというのに、なぜみんなそんなこと無かったかのように

笑っているんだ」と・・・・。


 阪神淡路大震災の後、オウム真理教がサリン事件を起こ

し、世の中の目が一斉にそちらに向いたせいで、震災につい

ての報道などが急激に縮小してゆき、その中で、被災した人

たちは、自分たちの苦しい現状が無視されて、置き去りにさ

れるような感覚を覚えた・・。

 私も、世の中のそのような流れに、いくらかの腹立ちと無

情さを感じた。

 人は誰だって、自分が苦しい時に周りから無視されたくは

ない。

 気に掛けてもらっていると思いたい。

 けれど、当事者にとってどんなに大きな出来事でも、他の

人にとって、自分の事ではない事はやはり “他人事” です。

 記憶としての重さも全然違うし、そもそも「体験」と「情

報」は違う。
 

 「体験」は、その人の中、奥深くに刻み付けられるものだ

けれど、「情報」は人の表面に仮置きされてるようなもので

す。それが「情報」に留まっている限り、それは風にさらさ

れ形を失って行ってしまうさだめです。それを止めることは

できませんね。当事者にとって、どんなに心細くて、悔しく

ても・・・。


 「あの震災を風化させない・・・」そんな言葉はよく聞か

れますが、でも、風化するんですよ。日々刻々、新たな出来

事が人々の前に起き続ける。その “出来事の風” とでも呼ぶ

ような力は、過去の出来事の形を失わせて行く・・・。社会

は新たな出来事に対応を迫られ、それを無視する事はできま

せんからね。その出来事の只中に居た人にとって、どれだけ

非情に思えても、それはもう済んだことなんですね。

 そして、その当事者にとっても、その「体験」の記憶は変

わってゆく。

 どんなに、それの重さを知っていて、それをないがしろに

できないと思っていても、それは変わってゆく・・・。でも

それは、「情報」が風化するのとは違う。変質してゆくので

す。

 「体験」はその人の中で、その在り方を変えて行く。


 世界は刻々と変わって行く。生きている限り、人も刻々と

変わって行く。

 変わって行く世界の中で、人はその「体験」との折り合い

を付けようと、「体験」との関わり方を変えて行かざるを得

ない。

 世界と対応する中で自分も変わる。自分が変わる事で「体

験」との関わり方も変わって行く。それが「体験」が変質し

たように感じさせる。


 災害などで、肉親を失くしたりした時。その記憶が薄れた

ように感じてくると、人は罪悪感を覚えることが多い。自分

が薄情で冷酷な人間のように感じてしまう。でも、それは違

うと思う。

 それは、人が生きる上での自然な成り行きで、そうでなけ

れば人は生き続けては行けないだろう。「体験」の記憶が変

質し、薄れて行くことは、その人が薄情で冷酷なことを意味

しない。

 人は、生きている限り変わって行く。

 生きている限り、世界との新たな関係を持たなければなら

ないのだから。


 あの震災・原発事故の記憶は風化して行く。変質して行

く。

 それは止められない。

 誰のせいでもない。


 大事なのは、せめて当事者の中でその「体験」を活かして

(生かして)行くことだろう。それを踏まえた上で自分を生

きることだろう。

 もっとも、そんなことは当事者なら身体でわかる。わから

ざるを得ない・・・。


 どんな出来事も、それは誰のせいでもない。自分のせいで

もない。

 人がしでかしたことでも、自然がもたらしたことでも、自

分がしでかしたことでも、それは出来事としては等価なので

す。

 それが時に温かく、時に非情でも、人はそれらの出来事の

ひとつひとつの中で、自分として生きて行く・・・。泣きな

がらでも・・、感謝しながらでも・・・。


 合掌。




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