2021年11月25日木曜日

どういうご縁か存じませんが・・・



 このブログが載ってる “Blogger” だけなのか、他のブロ

グでもそうなのかは知らないけど、いま書いているようなひ

とつひとつの記事を「投稿」という。

 このサイトを私が運営しているのではなく、Google の持

つ掲示板に私のスペースがあって、そこに記事を書き込んで

いるのだということが、「投稿」という表現から分かる。 あ

くまで、間借りしているので、家主である Google の気分が

変わって、「Blogger は辞め!」ということになると、いま

まで書いて来た事は消え失せる。少し前に『書いたものは残

る』という話を書いたけれど、当然ながらそれも限りがあ

る。このブログなど、いつ消えるか分からない。諸行無常で

ある。


 そのいつ消えるか分からない「投稿」は、今回で600回

目。

 「継続は力なり」という言葉があるけど、自分のブログの

ことを考えると「継続は病気なり」という気がしないでもな

い。「何かを成した」とか「何かの役に立てた」という感覚

なんか無いですからね。


 でも、自分で「継続は病気なり」と言うのもあんまりなの

で、こういうことにしておきたい。「継続はご縁なり」。

 何の因果か知らないけど、こういうことを始めて、600

回も続けてる。それで何になるのか私は知らない。けれど、

少なくとも私のアタマの整理にはなっているようだ。ブログ

を書き出す前に比べると、かなりアタマの中が片付いたとい

う実感はある。

 なので、たまたまこのブログを読む人のアタマの中も少し

整理されれば嬉しいのだが、ことによるとかえって混乱する

だけかもしれない。まぁ、そういう場合は “もらい事故” に遭

ったと思って頂きたい。それも「ご縁」です。「ご縁」は大

切にして下さいね。


 ブログを書くのも「ご縁」。

 ブログを読むのも「ご縁」。

 それで感覚や考えが変わるのも「ご縁」。

 変わらないのも「ご縁」。


 「ご縁」によって、わたしたちが、何をして、何を感じ、

何を考え、どう変わって行くのか? 実のところ、それは問題

ではない。問題意識を持ったところで、自分を動かして行く

「ご縁」をどうしようもない。ただ、「ご縁」のままに生き

るしかない。


 わたしたちがすべきなのは「ご縁」を大事にすることだ

け。

 自分が生きていること、やがて死ぬことも含めて、自分の

世界の「ご縁」を尊重すること。そうすることで「ご縁」を

味わうことができる。「ご縁」に一喜一憂する人は大勢いる

けれど、「ご縁」を味わう人はなかなか居ない。


 出来事の「事」に目を向けるのではなくて、そのことが

「起こる」という、世界の不可思議な “働き” に目を向ける。

自分自身が、いま在るというのも、その “働き” によるのだ

し。


 「ご縁」に、良いも悪いも無い。「良いご縁」が有るとす

れば、それは、 “自分が「ご縁に良いも悪いも無い」と思え

人である” という「ご縁」だけでしょう。


 このブログがそのような「ご縁」の一かけらにでもなれ

ば、望外のしあわせというものです。



0 件のコメント:

コメントを投稿