2021年11月6日土曜日

書いたものは残る



  「書いたものは残る。いつ、誰が読むか知れない」


 この言葉は、半年ぐらい前にテレビのドキュメンタリー番

組で耳にした。

 番組は市井の方を取材したもので、この言葉もその方の父

親か恩師の言葉だったと思う。だから世に知られた言葉では

ない。けれど、聞いて「そりゃそうだな」と思って、印象に

残った。


 この言葉は二つの意味を持つだろう。「愚かなことを書く

と、後で恥をさらすことになるかしれない」ということと、

「良い事を書くと、後で誰かの為になるかもしれない」とい

うこと。


 番組で取材されていた方は、この言葉に出会うまでは「自

が書く」ということに大した意味を感じていなかったそう

が、それ以後は自分が書くことに責任と希望を持つように

なったようだ。


 ひるがえって、もう五年近くもブログを書いている自分を

考える。

 恥をかくのは別に構わない。「こいつバカだな」と思われ

てもなんてことはない。人は皆日常的にバカなことを言って

いるもんだし、バカなことでも、誰かが何かを考えるきっか

けにはなるだろう。

 そして、もしも誰かがこのブログを読んで「読んで良かっ

た」と思うことがあるのなら、生きてる甲斐があるというも

のだ。


 「誰が読むか知れない」


 その「誰か」が世の中の常識に苦しんでいる人なら、この

ブログはなにがしかは役に立つと思っている。書いている当

人が、世の中の常識に上手く対応できずに悪戦苦闘してきた

人間で、自分の体験と思索から、その対策を書いているんだ

から。きっと、必ず、誰かの役に立つ! そういうご縁がいく

つもあればいいのになと思っている。


 「世間虚仮、唯仏是真」  聖徳太子


 世の中は作り事ですよ。


 だから世の中のしあわせも作り事ですよ。

 本当のしあわせは、世の中と関係のないところにあります

よ。

 そういうことを書き続けている。 


 世の中から否定的なことを突きつけられ、押さえつけられ

たような思いでいる人に伝えたい。

 「それはそう思い込まされているんですよ」と。

 「本当は、あなたもしあわせなんですよ」と。


 これからもブログを書いてゆく。心して書かないと、

 「誰が読むか知れない」




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