2023年1月12日木曜日

元気とは何か?



 “最近「気」に関係する言葉が気になっている” というわけ

でもないのだけど、タイトルにあるように、今回も「気」の

話を書くことになった。「元気」とは何か?


 二十年ほど前からだろうか? 「元気をもらった!」とか

「勇気をもらった!」とかいう言葉を聞くようになった。ス

ポーツや音楽のライブを見たファンなんかがよく言うのでお

馴染みだけど、あれ、私は気に入らない。いや、私の「気」

には入(はい)らない、というべきか。始めてあの言葉を聞

た時から違和感を感じている。ずっと「なんじゃそりゃ

ぁ?」という感覚で聞いていた。「元気をもらった!」とい

う言葉に対応するフィーリングが、私の中には無いから。


 ところが、三日ほど前にテレビを見ていて、何かのイベン

ト会場から出て来た女の子が、インタビューに答えて「元気

をもらいました!」と言っているのを見て気が付いた。「あ

っ! “テンションが上がった” という意味で使っているんだ

な」と。

 「それなら “興奮した” とか “感激した” とか言えばいいん

だ。みんなが使っているからって、自分のフィーリングにそ

ぐわない言葉を無神経に使ってると、アタマと心が繋がらな

くなるぞ!」。そんなことも思った。


 他人から「元気」をもらうことはできない。「元気」は出

てくるものだ。「元々」持っているものだから「元気」とい

うのだ。わたしたちのデフォルトの「気」だから「元気」な

のだ。誰かから刺激を受けて「元気が出る」ことはある。け

れど「元気をもらう」ことはできない。ヒゲダンの曲を聴か

せて死人が生き返ったりしない。そのように、「元気」はも

らえない。


 「元気」という言葉は、普通「活力」というような意味合

いで使われているんだと思う。それが常識なので、そこにま

でイチャモンを付ける気はない。それはそれで、これまで通

りで結構。だから、「テンションが上がった」ということを

「元気が出た」と言っていい。けれど「元気をもらった」

は、やはり違うのだ。

 もっと自分のフィーリングを、心の動きを大切にしてもら

いたいと思う。自分の心を雑に扱ってはいけない。


 自分の心を、既製品の量産型の言葉で表してそれでいいこ

とにしていてはいけない。

 安物の精度の悪い工具でネジを回していると、ネジのアタ

マをなめて回せなくなってしまうように、言葉と心がフィッ

トしなくなって、自分の心が意識できなくなるだろう。安っ

ぽい言葉を使うことは、存外恐ろしいことなのだ。



 さて、「元気」とは何か?ということだけど、先に書いた

ように「元の気」だ。本来備わっているものだ。違う言葉で

言えば〈命〉だと言っていいだろう。だから、ヒゲダンの曲

を聴かせても死人は生き返らない。(別にヒゲダンに文句が

あるわけじゃないよ。若い子に人気が有るから譬えに出して

いるだけです 🙂)


 「元気が出る」というのは、「命の働きが表に出て来てい

る」という状態でしょう。だから「活力」というイメージに

繋がるのだろうけど、私は少し違う感じがしている。「元気

が出る」というのは、もっと静的なものではないだろうかと

思う。

 「アクティブに!」「エネルギッシュに!」というのでは

なくて、トンボがすうーっと飛んで行くように、春の日差し

の中で菜の花が咲いているように、スズメがチュンチュン鳴

いているように、古い神社の祠が静かに建っているように、

そのものが、滞りなくあるべき姿を現しているという、「は

れやか」で「おだやか」で「かろやか」な状態のように思

う。


 普段、わたしたちの本来あるべき姿は、世の中の価値観に

邪魔されて表に出て来なくなっている。精神的にも身体的に

も、求められる事と求める事に遮られて隠されてしまってい

る。大抵の人はそのことに気付かない。そういうもんだと思

っているので・・・。

 けれど、出口を塞がれたようなその状態に息苦しさを感じ

てはいるので、なぜそうなっているかは深く考えないけれ

ど、息がしたくて、スポーツイベントやライブに出かけたり

して「元気をもらおう」とする。「元気」はもらえないのだ

けど、そこで受け取る刺激によって、自分のあるべき姿を隠

している世の中の価値観の一部が押しのけられ、ひと時その

姿が表に現れる。「元気」が出てくる。


 「元気」はいつでも自分の中にある。生きているのだか

ら。

 誰かからもらえるものでもないし、もらう必要も無い。自

分の中を覗き込めばそこにある。元々ある。

 世の中が教える “元気” や、世の中が認める “元気” や、ど

こかの誰かからそう思わされた “元気” とは質の違う「元気」

がそこにある。それは〈命〉そのもののことだし、もう一つ

別の言葉で言うならば、〈自分〉のことだ。「元気が出る」

とは、〈自分〉を認めることだ。いま生きている自分を慈し

み、敬意を払うことだ。


 たとえ死に至る病に侵されていても、その自分を慈しんで

やれば、その自分を曇りのない目で見れば、そこには「元

気」があるだろう。


 「元気」とは、静かに息づいている〈命〉のことだろうと

思う




 

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