2023年1月13日金曜日

自画自賛のすすめ


 昨日書いた話は、「元気とは何か?」「元気が出るとはど

ういうことか?」ということを書きつつ、最終的には、読ん

だ人の「元気」が出るという仕掛けになっている・・・、と

本人は思っている。


 そんな自画自賛をして自己満足をしてるのは、みっともな

い感じがするけれど、本当はそれでいいのだと思う。みんな

自画自賛して自己満足してればいいのだと・・・。

 自画自賛しよう。自分を敬い、自分を楽しもう。


 もちろん、他人にひけらかすようにだとか、他人に押し付

けるように自画自賛するのは下品で愚かだ。鼻持ちならな

い。それでは自自賛になって、自我他賛を求める事になっ

てしまう。そうではなく、他人とは関係のない自画自賛。自

分の中で完結する自画自賛をすべきなんだ。人知れず、自分

を讃えることは良いことだ。


 3分後に自分以外の全人類が死滅したとして、それに伴っ

て自分も死ぬだろうか? いや、さしあたりは生きているだろ

う。わたしたちひとりひとりの命は、他の命と直結していな

い。それは、本質的には自分と他の人とは関係がないという

ことだ。わたしたちひとりひとりの世界はそれぞれ完結して

いる、というのが本当だ。けれど、社会がなければ生きられ

ないせいで、自分と他人を関連付けて考える癖がついてい

る。

 誰もが社会と関係を持ちながら生きているのだけれど、そ

れは物理的に命を繋ぐための表面上のことであって、本質的

には関係がない。最愛の人が死んだからといって、自動的に

自分も死ぬわけではない。ひとりひとりはそれぞれの世界に

生きている。


 それぞれ別の世界でそれぞれの命を生きているのだから、

「誰かに褒められたい」とか「誰かに認められたい」という

のは、そもそもおかしい。

 テニスの試合中に見事なダンスをしてみせても、周りの人

間は唖然とするだけだろうし、見事なリターンを決めても、

テニスなど知らない人が見たら「???」となるだけのこ

と。他人の評価というものは、社会の「お話し」の中で有効

なものであって、わたしたちひとりひとりが生きる上では、

本当は必要ないことだ。


 自分が満足し、自分が喜ぶことができればそれでいいの

だ。

 自分以外の誰もあずかり知らないところで、自分自身の生

きていることや、自分が楽しみ喜ぶさまに満足している方

が、世の中の評価に関わるよりもずっと上品で実りがあると

思う。


 自画自賛しよう。

 宇宙の始まりから終わりまで、この自分は、これっきりで

二度と登場しない。自画自賛することを憚る必要などどこに

も無い。

 誰かや何かとの比較にこだわらず、〈絶対の自分〉が、生

きて、する事を、見守って楽しめばいい。自画自賛すればい

い。

 すべての人間がそれぞれに自画自賛するならば、誰一人と

して不満を持たない世界になる。誰一人として不満を持たな

い世界なら、そこには争いもないだろう。

 もちろんそんな理想郷は無い。無いからこそ、自分の中を

理想郷にするべきなんだ。他人のことは他人にまかせるしか

ないのだから。


 本当に自画自賛できれば、自分から誰かへの余計なおせっ

かいも、誰かから自分へのつまらない干渉も、眼中に無くな

る。

 「ああ、生きてる。(自分が)なんかやってる」。そうい

う、すこやかな楽しさ、喜びに包まれる。


 みんな〈自分〉として生まれてくる。

 自画自賛しよう。

 それを〈自分〉は喜ぶ。

 そして、たぶん、この〈自分〉を生みだした、この世界も

喜ぶだろう。





 

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