2023年1月29日日曜日

太陽の化身



 昨日も風花が舞う寒い一日だったけど、陽射しは暖かかっ

た。

 背中に陽を浴びながら、「ああ、太陽のエネルギーで生か

されてるんだなぁ」と、あらためて思いつつ、玄関まわりの

花の手入れをしていた。


 地球の生物のほぼすべてが、太陽のエネルギーによって生

かされている。それがなければ、地球の生物相は恐ろしく貧

弱なままだったろうし、もしかしたら生物は生まれなかった

かもしれない。こういうことを考えていると、『ひまわり』

という山崎ハコの昔の唄を思い出す。

 『ひまわり』の中で山崎ハコは唄う。


   あなた(太陽)の光の粒が 

   作ったわたしなのよ・・・


 わたしたちは太陽の光の粒で作られた。それは科学的にも

筋の通った話だし、「お天道様が見てござる」などという日

本人からしたら、精神的にも納得できるような話だ。


 生物だけではなく、太陽の光がなければ大気の循環もほぼ

無くなるどころか、地球上はマイナス100度以下に冷え

て、大気の成分の多くも液化したり固体化したりして、大気

自体の組成も変わり、薄くなってしまうことだろうし、物質

の循環さえもかなり抑えられてしまうことだろう。まさに

「お天道様」によって生かされ動かされていると言えるし、

太陽の光の粒のエネルギーでわたしたちは作られた。

 そう考えると、わたしたちは太陽の一部が地球上にこうい

う形で現れたもので、ちょっとカッコよく言えば、太陽の化

身だね。


 天照大御神、大日如来、太陽神ラーなど、太陽が命の起源

だという考え(信仰)は世界中にあるだろう。

 太陽が照らなければ作物が育たない。冬なら凍え死んでし

まう。たとえ、日照りが続いて飢饉が起きたとしても、陽が

照らないことの害の方が遥かに酷いといえるだろうからね。

科学的な思考がされるずっと以前から、感覚的、経験的に、

人は生命の根源は太陽だと理解していたし、それはごくごく

素直で真っ当なことだ。


 太陽が無ければ生きて行けない。普通はそう考える。私も

普段そう考えている。けれど、昨日の陽射しの暖かさを感じ

ながら私が思ったのは、生きている私を太陽が助けているの

ではなくて、太陽が私を作り、動かしているというイメージ

だった。


 自分が生きているんじゃなくて、太陽のエネルギーが、こ

こで〈自分〉  と、私が感じている  というものをして

いるんだと思った。〈自分〉というものは太陽の行っている

事業の一つの現れであり、さらには、太陽を生み出した宇宙

(この世界)の事業の一つの現れなのだと感じた。


 この〈自分〉がその事業の何を担っているのかは知らない

し、知る必要もないのかもしれないけれど、自分が自力で生

まれて来たのではないことは疑いようが無いので、自分が生

まれてきたことの事情なり理由は、太陽(この世界)の方に

有るはずだ。

 だったら、その事情なり理由なりを知る為に、この命を使

うか?


 いや、それはムダだろう。どう考えても、感覚的にも、そ

れは知り得ないだろう。


 なので、そんなことは〈自分〉を生みだした太陽に任せて

いればいい。太陽に責任を丸投げすればいい。

 「ご自由にどうぞ。どうせ、あなたが作って、あなたが動

かしているわたしですから。わたしはそれを体験しながら、

味合わせてもらいます。ただ、楽しいにこしたことはないで

すから、できたらそんな感じが良いですけどね😉」なんて

ね。


 「陽射しが暖かいなぁ」と感じただけで、こんなことまで

考えるなんて病気かもしれない。けれど、自分がいまそんな

自分であることを、私はありがたいと思っている。

 うん、ありがたい。






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