2023年1月8日日曜日

お気楽に



 昨日『気の向くままに』という話を書いた。


 「自分のやることなんか、私の知ったこっちゃね~よ」と

いう、究極に無責任で、究極にお気楽な立場だといえる。


 そう「気楽」なのだ。「気の向くまま」に、「気に運ばれ

るまま」を受け入れられたら、「気が楽」なのだ。自分とい

うものとして現れているこの「気」が「楽しむ」のだ・・・

ろうと思う・・・。


 「自分のやることなんか、知ったこっちゃない」

 自分(アタマ)という小さな「気」の現れから、それを現

わしている大きな「気」の働きに意識の中心を移すことがで

きれば「気楽」になる。ゆったりする。


 昨日書いた話などは、本当に気の向くままに、口から出ま

かせだった。

 「ブログを始めて、明後日でもう丸6年になる・・・」と

書き始めて、その後は勝手に「気」にまつわる言葉遊びが始

まっていて、書いていて自分で面白かった。画面に表れて来

る文章を見ながら、「へぇ~、そうなんだ」という感じで進

んで行って、いつも以上に、自分が書いているのではなく

て、「自分を通して出て来ている」という感じが強かった。


 “自分” という、人の世との関わりでできているものに拘泥

しなければ、世の中からの影響も小さくなって、気楽にな

る。大きな「気」の働きの、大きな「気分」に繋がることが

できる。



 世の中というものは、「どうしたら得になるか」「どうし

たら損をしないか」「どうしたら自分を守り、保ち続けてゆ

けるか」と、80億ものエゴが葛藤し、牽制し合っている場

だ。そんなところに「気楽」な「気分」なんて存在しようが

ない。ときどき世の中のエアポケットのような部分に入った

時にそんな感覚を味わうことができるだけ。世の中では

「気」が狂っている。

 「どうしたら得になるか」「どうしたら損をしないか」

「どうしたら自分を守り、保ち続けてゆけるか」という人の

アタマの働きが、「気を狂わせている」。そこから離れてや

れば、本来の「気」の在り様である、「楽」に繋がる。


 “自分” とも、世の中とも関わるしかないけれど、その「狂

気」に捕らわれないように、たしなむ程度にして、気楽にい

たいと、あらためて思う。



 さて、これでこのブログも丸6年を締めくくった。これか

らも気の向くままに続けて行こうと思う。まぁ、気の向くま

まに、気の済むようにだから、いつまで続くのかも分からな

い。「気分」しだいなので、私の知ったことではない。

 ああ、気楽だ🧡





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