昨日『気の向くままに』という話を書いた。
「自分のやることなんか、私の知ったこっちゃね~よ」と
いう、究極に無責任で、究極にお気楽な立場だといえる。
そう「気楽」なのだ。「気の向くまま」に、「気に運ばれ
るまま」を受け入れられたら、「気が楽」なのだ。自分とい
うものとして現れているこの「気」が「楽しむ」のだ・・・
ろうと思う・・・。
「自分のやることなんか、知ったこっちゃない」
自分(アタマ)という小さな「気」の現れから、それを現
わしている大きな「気」の働きに意識の中心を移すことがで
きれば「気楽」になる。ゆったりする。
昨日書いた話などは、本当に気の向くままに、口から出ま
かせだった。
「ブログを始めて、明後日でもう丸6年になる・・・」と
書き始めて、その後は勝手に「気」にまつわる言葉遊びが始
まっていて、書いていて自分で面白かった。画面に表れて来
る文章を見ながら、「へぇ~、そうなんだ」という感じで進
んで行って、いつも以上に、自分が書いているのではなく
て、「自分を通して出て来ている」という感じが強かった。
“自分” という、人の世との関わりでできているものに拘泥
しなければ、世の中からの影響も小さくなって、気楽にな
る。大きな「気」の働きの、大きな「気分」に繋がることが
できる。
世の中というものは、「どうしたら得になるか」「どうし
たら損をしないか」「どうしたら自分を守り、保ち続けてゆ
けるか」と、80億ものエゴが葛藤し、牽制し合っている場
だ。そんなところに「気楽」な「気分」なんて存在しようが
ない。ときどき世の中のエアポケットのような部分に入った
時にそんな感覚を味わうことができるだけ。世の中では
「気」が狂っている。
「どうしたら得になるか」「どうしたら損をしないか」
「どうしたら自分を守り、保ち続けてゆけるか」という人の
アタマの働きが、「気を狂わせている」。そこから離れてや
れば、本来の「気」の在り様である、「楽」に繋がる。
“自分” とも、世の中とも関わるしかないけれど、その「狂
気」に捕らわれないように、たしなむ程度にして、気楽にい
たいと、あらためて思う。
さて、これでこのブログも丸6年を締めくくった。これか
らも気の向くままに続けて行こうと思う。まぁ、気の向くま
まに、気の済むようにだから、いつまで続くのかも分からな
い。「気分」しだいなので、私の知ったことではない。
ああ、気楽だ🧡
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