2023年9月2日土曜日

コオロギの声



 夕飯を食べてちょっと外へ出てみたら、コオロギが盛んに

鳴いている。 秋が来るのだなぁ。

 コオロギはこの日本でいつからこうして鳴いているのだろ

う?日本人はいつからコオロギの声なんかを愛でるようにな

ったのだろう?

 縄文時代には火焔型土器や土偶を作るような精神性の高さ

を備えていたわけだから、きっと虫の声を愛でていたことだ

ろう。そのような感性・文化を一万年以上も受け継いで来た

のだと思うと、なにやらただ事ならぬものを感じるなぁ。


 一万年前と今では、わたしたちの周りに広がる世界は「同

じ惑星か?」というほど違うけれど、コオロギの声は変わっ

ていない。わたしたちの身体も変わっていない。コオロギの

声とわたしたちの身体の間には変なものがあふれかえっては

いるけれども、それは表面上のことなのだと改めて思う。映

画のセットと本質的な違いは無く、大道具・小道具の作りこ

み方が念入りだというだけだ。

 そういう発想でもって生きていると、物の価値などという

ものを本気で信じ込める人が沢山いることが不思議でたまら

ない(そっちが普通なんだけど)。よくやるよ。


 ネットニュースを見てると、新型 i Phone のハイエンド機

種が「30万円ぐらいになるんじゃないか?」なんて書いて

ある。どう考えてもぼったくりだろう。どうせカメラの性能

がまた少し上がるだけの話だろうから。それに30万円を出

すなんてのは、間違いなく妄想の世界だね。技術革新を考え

れば、たぶん5万円で売っても利益は出るんじゃないか? あ

こぎな商売を続ける Apple なんかをなんでありがたがるの

か? まぁ「なんでか」は知っているけど・・・。


 それはともかく、さまざまな道具を使って自分たちの世界

を飾り付けて、もったい付けて、ほんのひととき悦に入っ

て、あとに残るのはゴミの山。

 自分の手で火焔型土器や土偶を作って、クリエイティブな

喜びを持っていたであろう縄文人のことを思うと、現代人は

本当に幼稚だなと思ってしまう。この100年ほどで、日本

人(だけではないが)は文化的に怖ろしく退化したようだ。


 大道具も小道具も道具でしかなく、それ自体は一過性で便

宜上の価値しかない。わたしたちが本当に価値と呼べるもの

は、道具の向こうとこちらに在るはずだが、現代人はそれを

ほとんど見失っている。


 1万年の時を経ても変わらないもの。それが「本当の価値

だ」と言っても間違いはなかろう。

 コオロギの声は、いまも昔もわたしたちの耳と心を楽しま

せる。人としての本質的な穏やかさに立ち返らせてくれる。


 こころしておかなければ、間にある物は、わたしたちの豊

かさを邪魔するだけになってしまう。物に目を奪われて、

「豊かさ」を一度も感じたことがない人の方が多いようだけ

ど、それは空恐ろしく、とてつもなく悲しい話だ。せっかく

生まれて来たというのにねぇ・・・。



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