2024年2月7日水曜日

良い人生を送る方法



 〈 もし、結婚したくなった時、「この人の為に、自分の人

を棒に振ってもイイや!」と思えるなら、その結婚は良い

のになるのだろうと思います 〉


 そう書いたのは『結婚してもしあわせになる方法』

(2017/4)の中ででした。誰かが結婚したり、結婚生活の悩

みや不満を口にしていたりすると、いまでもすぐにこの言葉

が頭をよぎります。

 結婚をしあわせなものにしたいのなら、この考えは必須だ

と思っていますが、今日はこの言葉の適用範囲をもっと拡大

してやろうと思って、ブログを書き始めたのです。こう言い

換えてみましょう。


 「この人生の為に、自分の人生を棒に振ってもイイや!」

と思えるなら、その人生は良いものになるだろうと思いま

す。


 ちょっと意味がわかりませんね。解説してゆきましょう。


 始めに出てくる「この人生」は、生まれてきて死ぬまで

〈とにかく生きてゆく人生〉のことです。後の方の「自分の

人生」は、〈世の中でさまざまな物語に自分を投影しなが

ら、できるだけ望みが叶うようにしたい人生〉のことです。

 ですから、「自分の人生を棒に振る」というのは、〈自分

の望みなんか二の次にしよう〉ということですね。その上で

〈とにかく続いてゆくこの人生を受け入れてゆこう〉と肚を

括ることで、人生は良いものになるというわけです。


 しかし〈自分の望みなんか二の次〉にして、人生が良いも

のになるのでしょうか? 

 なります。


 以前、「ストーリー(物語)を持たなければ不幸になれな

い」ということを書きました。「ストーリーを持たなけれ

ば、人は本来やすらいでいる存在だ」と。(『不幸になって

みよう!』2020/4)

 〈望み〉というのは物語の中で生まれます。〈世の中の物

語に自分を投影して望みが叶うようにする〉というのは、物

語の中に身を置くことですが、物語の中には必ず不幸が発生

します。それは避けられません。そこに身を置けば、人生が

良いものになるはずありません。幸・不幸のシーソーゲーム

で揺れているだけです。刺激が欲しいのならそれでいいので

しょうが、刺激はしょせん刺激でしかありませんし、人は刺

激に慣れてしまうものです。そうなると、シーソーの落差を

大きくしないと物足りなくなるのです。中毒状態になりま

す。そしていつの日にか物語が終わる時が来て思う、人生そ

のものを、落ち着いてしみじみと味わったことが無かった

と。


 《 世の中なんかたしなむ程度にしておきなさい 》と、私は

自分自身に言って聞かせますが、人生もたしなむ程度がいい

のです。〈自分の人生〉を眺めている、もう一つの人生があ

るのです。不幸の存在しない、乱されることのない落ち着き

に満ちている人生が。





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