2024年2月12日月曜日

極悪人をやっている人へ



 「あなたは極悪人だ」という前提で、今日の話を始めま

す。
 

 あなたはもう何年も極悪人として生きている。

 自分の欲望を満たし得をする為には、誰が困ろうが死のう

が気にしない。他人を平気で利用し、搾取し、必要があれば

法律に触れないような方法で人を殺しもするし、法律に触れ

ても捕まらなければ人を殺してもいいと考えている。完全に

自己中心的で、すべては自分のために利用するものでしかな

いと考えている。「良心」などという言葉を聞いても、まっ

たく理解できない。いや「良心って、自分の快楽のことでし

ょ?」などと本気で思っている。

 あなたは極悪人である。


 と、ここまで書いて来たところで、引っかかる言葉がいく

つも目に付く。

 「欲望」「搾取」「法律」「自己中心的」「利用」「良

心」「理解」「快楽」「本気」、そして「極悪人」。

 何が引っかかるかというと、それらの言葉は本当は何を指

しているのかということ。それぞれの言葉が一般的に持たれ

ているポジティブイメージやネガティブイメージや意味は妥

当なものなのか?「理解」という言葉は、ちゃんと理解され

て使われているのか? 「良心」とはいったい何か? そんなこ

とが引っかかる。


 普段はそこまで引っかからないけれど、今日やたらと引っ

かかってしまったのは、「極悪人」のことを書こうと思った

からだろう。一人の人間を「極悪人」として扱うからには、

非常に公正な態度が求められる(はずですが・・)。言葉の

意味、軽さ、重さ、イメージなどを十分考慮して書かなけれ

ばいけないので、書き始めた文章を見てみると、普通の意味

合いで気安く使うわけにはいかないなと思ってしまった。定

義の検証が必要だと思ったけれど、10個もの言葉を検証し

ていたら、10個のブログを書くことになってしまう。やっ

かいなものだ。


 やっかいなものだといっても、そんなことをやっかいに思

うのは私のような変わった人間だけで、普通の人は思わな

い。“「良心」は「良心」だ” 、“「極悪人」は「極悪人」だ” 

と思うだけのことだろう。言葉というものは、それぞれ、あ

る確固としたものを表していると普通は考えているだろうか

ら。

 しかし、私はそうは思っていないので、こんなところでい

ちいち引っかかる。言葉というのは、とても恣意的なものだ

と私は思っているから。思っているというよりも、そういう

ものだと生理的に身に沁み込んでいるぐらいだから、特にも

のの「善・悪」を語るような時には無視できないようだ。


 誰もが自分勝手に言葉を使う。自分勝手に言葉を使ってい

ることを気付いてもいないので、世の中には誤解、無理解が

あふれることになるけれど、誰もが理解しているつもりでい

る。

 恣意的な意味付けで言葉を使い、恣意的な意味付けで言葉

を聞き、恣意的な意味付けで理解し、恣意的な判断を下

す。・・・書いていて恐ろしくなった。


 さて、ここまで書いて来て、ようやく「極悪人」のあなた

へ向けて書くことが見えて来た。「善・悪」とは、恣意的で

あるかどうかではないのか?

 「恣意性」をできるだけ排除する態度が「善」で、「恣意

的」であればあるほど「悪」なのではないか?


 「恣意性」が無い。それはエゴの不在と同等だろう。

 「恣意性」が強い。それはエゴが強いということだろう。

 「善・悪」はエゴがどれだけ現れているかということだろ

う。


 さて、「極悪人」のあなたは、エゴむき出しなのだ。エゴ

に何のブレーキも掛かっていないのだ。エゴが生きているの

だ。あなたが生きているのではない。

 あなたが「極悪人」なのではない。あなたなど、もうとう

の昔にいない。生きているのは「極悪人」という亡霊のよう

なものなのだ。それは “世の中” という出来事のネットワーク

の中で、悪目立ちする火花のようなものだ。実体は無い。

 気の毒なことだ・・・。百年生きようが、一年生きたこと

にもならないだろう。もう死んでいるのだ。

 ケンシロウが「お前はもう死んでいる」と言ったのは、秘

孔を突いたからではない。もともと死んでいると言っている

のだ。秘孔を突くのは、「極悪人」を成仏させるためのケン

シロウの慈悲だろう。だから「人間のクズ」を倒しても、ケ

ンシロウは悲しい目をしていて笑ったりはしない。


 ・・・話がそれた。

 あなたが「極悪人」をやっているのは仕方がない。どうし

ようもない。それが必然なら「極悪人」を続けるしかない。

それは決して幸福なことではない(と私は思っている)が、

しようがない。

 あなたは生きていない。

 あなたは死んでいる。

 エゴには生命は無い。

 あなたは世の中の動きの一部でしかない。実体は無い。実

感も無い。亡霊としてさまよって行く。救いは来ない。


 あなたは生きていない。

 あなたは生きていない。

 あなたは生きていない。

 あなたは生きていない。

 ・・・・・・・・・・



 「極悪人」として扱って失礼しました。最後の方は気分が

悪くなったかもしれない。自分で書きながら読んでいて気分

が悪くなったぐらいですからね。すみません。


 「極悪人」として扱われた気分はどうですか?

 わたしたちは多かれ少なかれ「悪」です。「悪」はわたし

たちのエゴの部分で、それは常にある。そして「悪」は死ん

でいる。生きたいのなら(しあわせでいたいのなら)「悪

(恣意性)」に乗っ取られないようにしなければなりませ

ん。そうしなければ命は無い。


 「極悪人」はこんなブログ見ないけれど、もしも、もしも

あなたが本物の「極悪人」ならば、私は心の秘孔を突いてあ

げたい。


 あなたはもう死んでいる。


 成仏してもらいたい。

 そして、もう一度、本当に生きてもらいたい。せっかく生

まれてきたのだから。




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