2024年2月15日木曜日

悠々と



 「悠々としていたいなぁ・・」みたいなこと思ったりしま

せんか?「悠々と」という在り方は、人が生きて行く上で最

も望ましい姿だと思いますね。でも、なかなかそんな風には

なれないと誰もが思う。でもホントはそんなことない。悠々

とするのはそんなに難しいことではない。


 誰かが悠々としているのは、ゆとりが生まれる状況が整っ

て、結果的に悠々とした態度になっているということが多い

でしょうけど、「悠々と」というのはその人の在り方ですか

ら、結果ではなく、前提として「悠々と」というのが可能で

す。悠々としてしまえばいいということです。

 《 しあわせになるのに理由はいらない 》と時々書いてきま

したけど、それと同じことです。《 悠々とするのに条件はい

らない 》という感じですね。


 昔、「悠々として急げ」という言葉を目にしたことがある

ように思います。開高健さんの本のタイトルだったように思

いますが、この言葉は「急いでいても、悠々としていること

は可能だ」と言っています。そしてどのような状況でも悠々

としていることはできます。


 道に迷っていても悠々としていることはできます。

 お金に困っていても悠々としていることはできます。

 ヤクザにからまれても悠々としていることはできます。

 ガンで余命一か月でも悠々としていることはできます。

 テロリストに銃を突きつけられても悠々としていることは

 できます。

 引きこもりになっても悠々としていることはできます。

 鬱病になっても悠々としていることはできます。


 ハードルが高い事柄もありますが、いついかなる状況でも

悠々としていることはできます。

 悠々としていることを自分の基本姿勢にする。その上でさ

まざまな出来事を受け止め、ざまざまなことをこなして行

く。それは可能ですし、それほど難しいことではない。

「“悠々と” というのは、結果ではなく、前提だ」という意識

の転換ができれば、結構やすやすと悠々としてしまえるので

す。「メチャメチャあせりながら悠々としている」なんてこ

ともできるのです。


 なぜそんなことができるのかというと、そもそも「悠々と

している」のが、命の在り方のデフォルトだからです。

 ところが、わたしたちはアタマに惑わされて、それが分か

らなくなっている。

 ときおりアタマの目的が達成されて、アタマの活動が落ち

着いて弱まった時に、デフォルトである「悠々と」が表面に

出て来る。そのせいで「悠々と」は結果だと思ってしまって

いるのですが、違うのです。アタマが悪いのです。本来、わ

たしたちは悠々としているものなのです。いつだって、わた

したちの心には悠々たる静けさが満ちている。しかし、絶え

間ないアタマのおしゃべりに注意をそがれてしまい、自分の

中の悠々さが分からない・・・。

 それでも、アタマのおしゃべりの外へ少し意識を向ける

と、それはすぐに感じられる。自分が本当は「悠々と」して

いるのが分かるのです。


 それは、これ以上ない、底知れないような贅沢なことで

す。何が起きようが、命は本来悠々としている・・・。

 感謝感激雨あられ😂





 
 

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