2020年4月11日土曜日

不幸になってみよう!



 こんなタイトルを見たら、「いま、不幸だ」と感じている

人はどう思うだろうか?

 心配いりません。「いま、不幸だ」という人も、さらに不

幸になろうとすることができます。(え?「そういうことじ

ゃない」って?)


 この前、『不幸になれない』(2020/3)という話を書き

ましたが、今回は、それを検証してみようということです。


 で、早速ですが、一分間差し上げますので、「不幸」にな

ってみてください。「いま、不幸だ」というのでしたら、い

ま以上にさらに「不幸」になろうとしてみて下さい。ただ

し、「不幸な事」を考えるのはダメです。直接、自分の中に

「不幸」を生み出してください。「不幸」になってみて下さ

い。では、どうぞ・・・・・・・。

 



 一分経ちました。どうでしょう?「不幸」になれました

か?「不幸っぽい」気分が少しでも増えましたか?

 もしあなたが、「不幸な事」を思い描いたりせずに「不

幸」な気分を生み出せたというのなら、あなたはかなり器用

な人です。


 わたしたちは、ストーリーを持たなければ「不幸」にはな

れないようです。

 「不幸」は、自分が「こうあるべき」と思っている “想定

との落差” から生まれるもののようで、「想定」、つまり

「ストーリー」が無ければ、「不幸」は生み出せないんです

ね。


 考えてみて下さい。ネコが「不幸」を感じるでしょうか?

 「苦しい」とか「痛い」とかの不快は感じるでしょうが、

イコール「不幸」ではありません。それは単に「不快」とい

う感覚にとどまることでしょう(ネコに訊いてみたことはあ

りますが、答えてくれませんでした)。わたしたちが「不

幸」を感じるのは、アタマが「ストーリー」を持つ癖がある

からです。「ストーリー」を持つこと無くしては、「不幸」

にはなれないのです。


 わたしたちが「しあわせでいたい」「穏やかでいたい」

「安らいでいたい」と思うのであれば、その一番確実な方

法・・・、というより唯一の方法は、 “ストーリーを持たな

い事” 。あるいは、“ストーリーは「ストーリーでしかな

い」と、気付いていること” でしょう。


 それで「不快」や「苦しみ」は無くならないかもしれませ

んが、「不幸」になることは無い。それは保証できます。


 「保証」の根拠ですか?

 繰り返しになりますが、「不幸になろう」としてみて下さ

い。その 〝実感” が根拠です。


 そして「不幸になれない」わたしたちは、「不幸ではな

い」。

 「不幸」ではないわたしたちの標準状態は・・・、「しあ

わせ」なのです。


 もう一度、試してみて下さい。

 「不幸」になれるでしょうか?


 わたしたちは、どうしようもなく「しあわせ」なのです。

 アタマが悪さをしなければね。



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