2020年4月30日木曜日

好きなだけ闘ってみればいいさ コロナ ⑳



 ここのところ、新型コロナウイルスのことでなんだかんだ

と書いていたので、ちょっと整理しとこうと思って、コロナ

関係の話に通し番号を付けてみたら、なんと19もあった。

 もう四ヵ月も経つのだからとは思うが、こんなに書いてい

たとは思わなかった。私は、それほど「気持ち悪い」と感じ

ているんだろうなぁ。


 まだまだ騒動は続きそうだけど、私的には「コロナ」はも

う終わってしまった。


 ほとんどの死亡者の年齢が “平均寿命” 前後であること。

 ニューヨーク州での抗体検査の結果、感染者はニューヨー

ク州の人口の14%以上と推定されること。それによって、

感染者の死亡率は0.5%程度と見做されること。


 以前から思っていた通り、このウイルスはやっぱり “雑

魚” だ。

 こんな “雑魚” 相手に、よくもまあ騒ぎ続けられるもん

だ、大勢の人を不幸にしながら・・・。


 「ウイルスとの闘い」などという言葉をよく耳にするが、

彼らが闘っているのはウイルスではなくて、「死」だろう。

あるいは、「死」に象徴される「自然」だろう。アタマは

「自然」が嫌いだからね。


 人のコントロールの外に在るものを、「自然」と定義して

いいはずだが、自分のコントロールから外れて勝手に存在す

るものがアタマは嫌で嫌でしようがない。ましてや、それが

コントロール外の事の根本である「死」を伴っているのだか

ら、どうにも見過ごすことができないらしい。ああ、アタマ

が悪い・・・。


 好きなだけ闘ってみればいいさ、誰も死ななくなるまで、

老不死を実現するまで闘えばいい。そして誰も死ななくな

たあかつきには、自分たちのして来た事の結果をじっくり

味わえばいいんだ。

 それは、どんな味わいか?

 私が思うに、それは「虚無」というものではないだろう

か。


 コントロールすべき究極の事象である「死」を管理しきっ

た時、もう人には管理すべきものが無い。人の「目的」の根

底が消え去ってしまう。その時、おそらく人は茫然と立ち尽

くし、空っぽの「目的」を前に底知れぬ恐怖を感じるのでは

ないだろうか。

 そしてこう思うだろう。

 「“死” こそが、“生” の拠り所であり、“生” の価値を支

えていたのだ・・・」

 しかし、もう「死」は無い。

 「死」と共に、「生」の価値は失われた・・・。


 好きなだけ「死」と闘えばいいさ。

 そして、永遠に生きればいいさ。

 自分を生み出した「自然」を疑い、逆らいながらね。


 ひとまずはお幸せに。

 私はそれに付き合わないけどね。だって、気持ち悪いんだ

もん。




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