2020年4月4日土曜日

願わくは花の下にて・・・



 今日は近所の公園へ桜を見に行った。五~八分咲きという

ところだったが、コロナの件があって、さすがにシートを広

げて宴会などということは誰もしていない。でも、そこそこ

人が来ていた。


 ソメイヨシノは、江戸時代に江戸の染井村の植木屋で、エ

ドヒガンとオオシマザクラの雑種として偶然生まれたとされ

ている。一代雑種なので種からは育たず、挿し木、取り木な

どの方法で増やされ、現在まで受け継がれているものだ。な

ので、江戸時代の日本では、今のように全国中どこでも春に

はサクラが咲き乱れるということではなかった。日本がここ

までサクラだらけになったのは、昭和以降のことで、それも

年ごとに加速して行き、いまは日本の歴史上、最もサクラが

多い時代となっている。


 至るところでソメイヨシノが咲いているのを見ると、「こ

の時代に日本に生まれて生きていることはラッキーだなぁ」

と思う。サクラの下に座って人と話したり、サクラの下を散

策するあのなんとも平和で穏やかな気分というものは、他で

は味わえないものだ、それを、現代のわたしたちはごく身近

に味わうことができる。

 自粛なんてせずに、サクラぐらい見に行ってもよかろう。

その方が人の健康に資すると思うけどね。穏やかでいい気分

の時間を過ごすことは、身体も穏やかでいい状態にするので

はなかろうか。


 〈 願わくは 花の下にて 春死なん  

                              その如月の望月のころ 〉 西行


 西行の生きた時代にソメイヨシノは無かったので、この

「花」はヤマザクラだろうか。

 私も、願わくは花の下で春に死にたいところだけど、ま

ぁ、贅沢は言えない。でも、病院でチューブだらけにされて

死ぬのはヤだなぁ。


 『同期の桜』という歌のせいもあってか、サクラには「は

かない」とか「散りゆく命」といったイメージがいまだに少

し付きまとう。

 西行の時代は、はるかはるか昔だが、その西行が「願わく

は花の下にて春死なん」と詠んでいるその意味合いは『同期

の桜』とはかなり違うだろう。


 西行の「桜」は “自分と同じ自然の一部” であるのに対し

て、『同期の桜』の「桜」は “社会の一部” と言っていいだ

ろう。

 西行がわざわざ「願わくは花の下にて春死なん」と詠んだ

のは、その頃すでに、社会との関わりに嫌気がさしていた

いうことだろうけど、西行の頃から時代が進むにつれて、人

間の中で社会の占める割合は増え続け、『同期の桜』が作ら

れた頃には、人の存在は、 “自然” よりも、はるかに “社

会”  に依存したものになっていたのだね。

 そして、それからさらに80年程が経ったけれど、人の存

在は、より “社会” に依存したものになっているようだ。


 『同期の桜』では、「見事散りましょ、国のため」と歌わ

れていたけれど、今では「個人の為には国が散ってもいい」

という感じだね。だから社会が大混乱しても個人を守る。

 そのようなことを考えれば、今は、社会が個人をとても尊

重しているようにも思えるが、そうではない。「この社会

は、個人を守ろうとして守れないような管理能力の低いもの

ではない」と、社会自身が己(社会)の “全能性” を守り、

アピールしたいのだろうな。


 西行の頃も、今も、社会の妄想に関わっていると「死にた

く」なる(実際に死んでしまったりする)。


 社会の言い分に対しては、「そういう見方もあるね」とい

った感じで受け取っておいて、桜を楽しむぐらいはしていい

だろう。

 当然ながら、社会の誕生は人類の誕生より後だからね。


 〈 願わくは 花の下にて いま生きん  

                     この春風の やさしさの中 〉 yamasho




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