2020年4月5日日曜日

生きる価値など無いあなたへ



 ちょっとよそのブログを見ていて、「挑戦」だとか「前に

進む」だとかいう言葉が並んでいるのを見た。コメント欄に

は、「前向きに生きよう」といった、お礼の言葉や肯定的な

言葉が並んでいる。

 善意のある、良いブログだと思う。見ている人も真面目

だ・・・けれど、素直なひねくれ者の私は「はいはい」と頷

いたりしない。


 “この世界で、最も不運で不幸でネガティブで無能で最悪

の環境にある人” というものを考えてみる。その人は生きる

価値も生きる意義も無いのだろうか?


 自分自身を肯定的に見ることなどできず。自分の生きる世

界に良いものなどひとつも見いだせず。他人からもまったく

評価されない。そのような人には存在意義などないのだろう

か?


 「評価」というものは、わたしたちのアタマが作り出すも

のだ。わたしたちのアタマの中以外、この世界のどこにも

「評価」というものは存在しない。


 “この世界で、最も不運で不幸でネガティブで無能で最悪

の環境にあって、自分自身を肯定的に見ることなどできず、

自分の生きる世界に良いものなどひとつも見いだせず。他人

からもまったく評価されない人” であっても、この世界が、

その人を存在せしめたのだ。

 わたしたち人間の、アタマの「評価」とは無関係に、社会

の都合・事情以前に、その人は存在している。

 「それは自分の事だ」、とあなたが思うかもしれない。


 自分自身でも他の人間から見ても、その存在は「ムダ」で

あるかもしれない。「悪」でさえあるかもしれない。何ひと

つ良いと思えず、苦しみの中で死ぬのかもしれない。けれ

ど、この世界が、自分を存在せしめているのだ。


 なにひとつ「良い」ことがなく。「自分はただ生きている

だけ・・・」それのどこがいけない? 人間は一人残らず

「ただ生きているだけ」の存在だ。それが本当だ。

 その「ただ生きているだけ」の寄る辺なさから逃れんが為

に、わたしたちのアタマが「価値」と「評価」を生み出す。

そして、わずかばかりの安心を得る引きかえに、その数層

倍の苦悩の中に落ちる・・・。


 「自分はただ生きているだけ・・・」それのどこがいけな

い? 

 「自分はただ生きているだけ・・・」と感じることは、生

きることの真実に近付いていることだ。せっかくだから、そ

こからさらに「ただ生きているだけ」に踏み込んで行けばい

い。踏み込んで踏み込んでその中心まで入り込んで行けば、

「ただ」も「だけ」も置き去りにして、「生きている」に出

会うだろう。


 「価値」も「評価」も置き去りにした、その「生きてい

る」に向き合ったとき、自分が何を感じるか? 世界がどう

見えるか?


 自分が、“この世界で、最も不運で不幸でネガティブで無

能で最悪の環境にあって、自分自身を肯定的に見ることなど

できず。自分の生きる世界に良いものなどひとつも見いだせ

ず。他人からもまったく評価されない人” だとしても、いま

「生きている」。

 それは愛おしいことではないだろうか。

 その愛おしさの中にこそ、本当に「価値」と言えるものが

あるのではないだろうか。



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