2020年4月19日日曜日

静かだ



 家の外が静かだ。元日よりも静かなように思う。こういう

静かな時によく思うのが、人の立てる音のこと。


 もしも、人の活動の音が無く、自然の音だけならば、世界

はかなり静かなのだ。

 台風や火山の噴火や雷のような事でもなければ、自然の音

というのは、鳥や虫の鳴く声、風で揺れる葉音、川の流れ、

海の波音、雨音・・・、その程度でしかない。本来、この世

界は静かなものなのだ。


 人というものは、かなり騒々しい存在だね。特に現代はそ

うだろう。

 そして都市の騒々しさは正気の沙汰ではないだろう。それ

が普通になっているので、誰も「狂気」とは思わないけれ

ど、落ち着いて考えてみれば「狂気」ですよ。


 この騒々しさは何だ?

 人間って、いったい何だ?


 都会に住む人間などは、あまりに静かだと恐怖を感じるの

ではなかろうか?

 「自分以外、この世界には誰もいないんじゃないの

か・・・」

 無意識にそう思って、怖くなるのではないだろうか? だ

からこんなに物音を立てて、騒々しいのでは?



 暴走族の若い子だけではなく、30~40代のいい歳のオッ

サンが、爆音を立ててアメリカンバイクで走り去る。なんだ

って、あんな音を立てて嬉しいんだろうか? まったく理解

できないが、なにか「淋しさ」とか「不安さ」を抱えている

んだろうな。子供だね。


 「大人」という言葉は、「おとなしい(大人しい)」から

来ているとかいう。そして「おとなしい」は「音無し」のこ

とだともいう。ちゃんとした「大人」は、静かなのだ。


 ならば、この騒々しい世の中は、“子供っぽい” と言って

しまっていいのだろう。


 子供の頃、家に独りで居ると、あまりに静かで怖くなり、

声を出したり何か音を立てたりしてそれを紛らわそうとした

ことが誰にもあるだろうと思う。

 人間というものは、身体はデカくなり、アタマも働くよう

になるけれど、心はほとんど成長しないのだろう。だから、

歳をとっても不安のままで、静かにしているのが怖ろし

い・・・。


 こんな経験はないだろうか?

 ライブだとか、講演だとか、人が大勢集まっている所で、

いよいよそれが始まるので会場が静かになると、途端にあち

こちで咳をし始める人間がいる(あなたがそうかもしれな

い)。緊張し、不安になるのだろうと思うけど、それは「静

かさ」が怖いということだろうと思う。


 静かだと、外界からの刺激が少なくなる。それは “自分が

世界の中に存在している” という感覚を希薄にさせる。それ

は自分の足場を失うような不安定さを感じさせる。だから、

自分から音を立てて、その反響で自分の存在を確かめようと

するのだろう。

 ああいう人は、かなりセンシティブなんだろうが、それと

同時にエゴの強い人でもあるのだろう。

 エゴが強いので世界からの分離感が強く、その為、周り

らの情報が入って来なくなると、酷い疎外感なり孤独感を

じるのだろうなと思う。


 人間の社会。特に都市が騒々しいのは、エゴの強い、子供

っぽい人間が集まって作り上げているからではないだろう

か。


 そう、こんな名言も有った。
 

 《 河深ければ 水なめらかに流る 》 シェークスピア


 大人になって欲しいなぁ。

 私自身が大人かどうかはさておき・・・。



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