2020年4月2日木曜日

新鮮に老いる



 突然、「老い」について考えた。


 三十後半にもなれば、誰もがシミやシワや肌のハリやらを

気にしだし、白髪や薄毛を意識しだす。中年になると体力の

衰えを感じ始め、大抵の人間がそれを押し留めようとするの

で、「アンチエイジング」はさまざまなジャンルの一大産業

になっている。

 「アンチエイジング」というのは、「中古品のオンボロに

なりたくない」ということだろうが、「老いること」は「古

くなること」だろうか?


 生まれてから二十歳ぐらいまでは、自分の変化を「成長」

と捉える。何かがプラスされてゆく過程だと。しかし、それ

以降は何かが失われてゆくのだと。

 確かに、若い時を基準にして、その状態を「価値あるも

の」と考えれば、さまざまなものを失ってゆくと言えるが、

実際に起きているのは、単に変化しているということだけ

だ。年を取るにつれて、今までとは違う新しい状態に変わっ

ているだけなので、「古く」なっているわけではない。「古

い」のは身体ではなく、若い時の状態にこだわり続ける意識

の方だ。昔の自分という「古い」時代のことにこだわり続

け、引きずっているということは、アタマの中が「古い」の

だ。

 「アンチエイジング」にいそしむ人は、「古い人」なの

だ。


 年齢による自分の変化を、「今までに経験のない新しい体

験」だと受け止める人は、年を取ることを新鮮な事と感じら

れるだろう。その心は「若い」。そして、新鮮で「新しい」

と言える。そこには老いたからこその魅力があるのではない

か。


 若い時の状態にこそ価値が有るとして、それを基準に評価

しなければならなという法律は無い。昔、赤瀬川原平さんが

『老人力』という言葉を作ったが、その真意は「比較に頼ら

ないものの見方」を提示することだったのではなかろうか?


 社会の中で支配的な「ある基準」に引きずられ、それから

外れる “もの” “こと” の「絶対性」を貶めるのが、わたした

ちのアタマの癖だと言える。


 「老い」は〈四苦〉のひとつであり、〈苦〉の代表的なも

のだが、「若さ」との比較が無ければ〈苦〉にならない。

 一歳だろうと十七歳だろうと八十歳だろうと、年を取るこ

とは新鮮なことのはずだ、だって、それまで経験したことが

ないんだもの。


 「新鮮に老いる」ことができるのなら、そこには「威厳」

といったものが立ち現れてくるような気がする。


 人は死ぬまで、新しい自分になり続ける。






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