2020年3月31日火曜日

闘いたがる人たち コロナ ⑲



 「あたまが悪さをすることを、“アタマが悪い” という」

 このブログの初回にその説明をして、その中にこんなこと

を書いた。



 〈わたしたちのアタマは、四六時中悪さをしているといっ

いいでしょう。そして、わたしたち自身を苦しめていま

す。それは時に想像を絶する恐怖として、時には巨大な怪物

なって、わたしたちを押し潰しさえします。〉 


 その意味合い通りのことが、いま世界規模で起きている。

 「新型コロナウイルスが人を死に至らしめる」というスト

ーリーが、“巨大な怪物” となって人々を恐怖に陥れ、わた

したちの暮らし・人生を押しつぶそうとしている・・・。

 その “怪物” は、いま書いたように、「新型コロナウイル

ス」そのものではなく、それが「人を死に至らしめる」とい

う “ストーリー” の方で、それはわたしたちのアタマが自ら

作り出したものです。いま、わたしたちの多くが「自家中

毒」を起こしている。


 こういうことを言うと、「現実に人が死んでるじゃない

か!」「人が肺炎になって苦しんでるじゃないか!」と詰め

寄られたりもするわけですが、「新型コロナウイル」が存在

しなくても、これまでも同じように人は肺炎になり、これま

でも同じように人は死んで来た。それなのに今回は、その

「これまでと同じような」事に、なぜか「異常事態」とか

「人類の緊急事態」といったストーリーが与えられ、人々が

恐怖している。

 この “恐怖を増大させようとするストーリー” を、なぜ世

界中の人が共有してしまうのだろうか? 私はずっと、それ

が不可解でしょうがないのだが、人というものは、ずっと昔

からそういうものなんだろうなとは思う。


 情報がリアルタイムで世界に広がる時代になって、昔から

起こってきたことの規模が世界レベルになっただけなんだろ

うな。テクノロジーは発達したけど、わたしたちのアタマは

相変わらずで、その「悪さ」も世界規模になったということ

なんだろう。


 それにしても、なぜこうも「恐怖」が好きなんだろう?

 私自身も「終末論」みたいな話があると、すぐに聞き耳を

立ててしまう。

 「スーパーボルケーノ」だとか「太陽のスーパーフレア」

だとか、「氷河期の到来」だとかいう話には引き込まれてし

まう。どうも、人間は「恐怖」に惹かれるようだ。


 「怖いもの見たさ」という慣用句があるね。なぜわざわざ

「怖いもの」を見たいのかというのは、たぶんもう心理学や

脳科学的な考察が有るだろう。それがどんなことか、的を得

ているかどうか知らない。人間の生存欲求や脳の報酬系の働

きが関係していそうだが、それがどういうことかはここでは

探らない。ここではもう少しいかがわしい所に答えを探って

みたいので。


 基本的に、マゾなんだろうなと思うね。人が。わたしたち

のアタマが。

 こういう自虐的な思考が好きなんだろう、アタマは。


 自虐的といっても、今回の騒動は、もちろん個人レベルの

ことではない。社会を一個の人格と捉えての話。

 自分たちが酷い目に遭い、それを耐え抜くことで達成感や

自己肯定感を得たいのではないだろうか。その為に、“事” 

を実際以上に重大だと演出したがるのでは?


 ウソをつくといういう意味ではない。本気でそう思い込

み、現実をその視点からしか見られなくなるんじゃないかと

いうことです。


 イタリアの新型コロナウイルスでの死者は10000人を越え

たそうだけど、それをどう見るかということです。イタ

の人口は日本の約半分。そして日本に次ぐ高齢化社会。

 それなら、イタリアでの年間の死者数は日本の半分ぐら

いだと考えていいだろう。


 60~70万人。

 イタリアでは毎年それぐらいの人が死んでいて、その八

割ぐらいが病死だろうから、今回のコロナウイルスでのイタ

アの死者数が、イタリアの年間死者数を特に押し上げるこ

は無いのではないか? もちろん、現段階ではわからない

れど、コロナウイルスによって、このペースで今年いっぱ

人が死に続けるとは思えない。ここ二週間ぐらいで鈍化

だろうと、私は見ている。


 “専門家” でもないのに、なぜそんなことが言えるかとい

うと、イタリアの「感染症弱者」の割合、「感染蔓延度」

(そんな言葉無いでしょうが)などを考えると  「考え

る」ではなく、「当てずっぽう」ですけど  、もうそろそ

ろ、イタリア国内では感染が行き渡って、死亡リスクの高い

人は淘汰されてしまうだろうと思うから(薄情な言い方でご

めんなさい。あえて、そういう表現をしています)。常識的

に考えて、そうならざるを得ないと思う。

 そして、その後半年ぐらいは、イタリアでの死者数(コロ

ナだけではないすべての死者数)は例年より低く推移するだ

ろうと思う。そして、最終的に、2020年の死者数は例年と

大差ないということになるだろうと思われる。


 よその国のことで「他人事だから」とこんな予測をするの

は品が悪いけど、ヨーロッパ・アメリカなどの動きがどうに

も気持ち悪いので、書き残しておきたい。そして、騒動が沈

静化したら確かめたい。私は「冷静」にものを見ていたの

か、「正常性バイアス」によって、見誤っていたのかを。


 新型コロナウイルスへの最善の対処法は、「それは無いこ

とにする」ということだと思ってる。

 去年までと同じように、「風邪っぽい人」はそれなりに行

動し、「肺炎」の人には、「肺炎」即した治療をする。たぶ

ん、それで大過なく済んでしまうことだろうと、私は思い続

けているのだ。だって、そもそも自然現象なんだから、来た

ら、去って行くんですよ。人が余計なことをしなければね。


 「恐怖」の対象を設定して、それを克服して自身(社会)

のヒロイズムを満足させるという、マゾヒスティックな欲求

に支配されて、しなくていいことをしているじゃないだろう

か?

 ヨーロッパ・アメリカなどで行われていることは、「余計

な事」なんだろうと思うね。





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