2020年3月27日金曜日

当たり前に死ねる世界を! コロナ ⑯



 ここのところ、コロナウイルスの話題をスルーしていたの

ですが、今回はまたそっちの話で・・。


 小池百合子という人は、相も変わらずお調子者で、「ロッ

クダウン」などという言葉を使いたがる。「都市封鎖。ロッ

クダウン」などと言う。「都市封鎖」で言い終えているの

に、そこに「ロックダウン」という同じ意味の言葉を被せ

る・・・。

 自分が「排除」という言葉を使って墓穴を掘ったのに、相

も変わらず、刺激の強い、きつい言葉を使いたがるのは、自

治体の首長としては相応しくないだろう。


 明るい話題の時に、盛り上げるための印象的な言葉を使う

のはいいだろう。けれど、今回のような時に、ネガティブな

強さをもつ言葉を使うことには慎重であるべきだと思うんだ

がね。

 「ロックダウン」どころか「都市封鎖」でもキツイ。

 こういう時には、もっとやんわりと表現するのが、リーダ

ーとしての心構えではなかろうかと思うのは私だけ?


 お調子者のオバサンの話はさておき、連日「コロナウイル

スに感染した70代の男性が亡くなりました」とか「80代の

男性が死亡しました」とか「90代の女性がコロナウイルス

に感染して亡くなりました」とかいう報道があるのだが、日

本の「平均余命」は83歳なのだ。70代・80代・90代の人

が亡くなるのは、平均的な事なんじゃない?

 マスコミというのは、異常な事や特異な事を報道するのが

信条なんだろうと思うのだが、なんだって平均的な年齢で死

ぬ人の事を一々報道するのだろう? 70~90代の人は、毎日

死んでますよ。癌や脳卒中や肺炎や心筋梗塞やらでね。なん

でコロナウイルスで死んだ人だけ特別扱いなの?


 日本では、平均すると毎日3500人位の人が死ぬのだが、

「平均余命83歳」というのは、その3500人の平均年齢が

「83歳」だと捉えてよいということだろう(いろいろと面

倒な理屈もあるようですが)。ならば、今回のコロナウイル

スで亡くなる人のほとんどが、70~90代だということは、

このウイルスが蔓延したところで、日本人の「平均余命」を

あからさまに引き下げることはないだろうと思われる。それ

ならば、いま起きていることは、「平均的な」ことなのでは

ないのか?どこが「緊急事態」なのか?

 70~90代の人が病気で死ぬことがニュースになるのな

ら、心筋梗塞や脳卒中や癌で死ぬ人のことも報道しなさい

よ。テレビは毎日5~6時間それを流すだけになるでしょう

がね。


 今回の騒動の報道などを見ながら、「気持ち悪いなぁ」と

思い続けてきたけど(ウイルスではなくて、人間の行動

が・・・)、今日になって、「なぜこんなことになるのか」

というのがやっと分かってきたように思う。


 わたしたちは、個人的には「死にたくない」。それで当然

です。それが「個人」としての当然の見方だ。けれど、社会

という枠で考えると、その見方は違ってくる。


 人というのは死ぬものなのだ。日本であれば、83歳ぐら

いで死ぬのが一般的なのだ。

 社会の状況・在るべき姿を考え、それがどうあるのが「普

通」か、「望ましい」かを考えるときに、個人の価値観を持

ち込むのは筋が違う。社会を見る時に、そこに個人の “情” 

や “理想” を持ち込むと、社会は機能不全を起こしてしま

う。日本だけでなく、今、世界で起きていることは、「“個

人の価値観” が “社会の価値観” を排除した」ということの

表れだと思うね。


 私は〈反社会的な人間〉で、「社会が個人を喰い潰す」な

どと言って社会を目の敵にしている人間だけど、今回のよう

な狂騒を見ると「社会全体の安定を考えようよ」と言いたく

なる。だってアタマが悪過ぎるんだもの。そもそも、社会と

いうものは狂っているけども、これ以上の「狂い過ぎ」は勘

弁してほしいものだ。


 「高齢者が死んでゆく」

 それは当然のことでしょ?

 高齢になるということは、「死に近づく」・「死にやすく

なる」ということでしょ?

 「重い基礎疾患を持つ」ということも、「死に近くなる」

ということでしょ?

 「その人の免疫力が低下している」のなら、一見健康で

も、本人も周りも知らないだけで、その人も「死に近付いて

いる」のでしょ?

 いつでもどこでも、ある割合で、“死に近付いている人” 

がいるのが当たり前です。「当たり前」のはずなんです。け

れど、今回の騒動を見ていると、その「当たり前」を受け入

れない人間が世界中に “蔓延” している。


 「病原性ウイルス」も「感染症」も自然現象です。それで

亡くなる人のほとんどが高齢者だというのも自然な事です。

それは「当たり前」のことです。でも、その「当たり前」を

受け入れたくないのです。わたしたちのアタマが、エゴ

が・・・。
 

 『都市封鎖』なんて言うけれど、それは、「熱中症で人が

死ぬから、東京を屋根で覆って日差しを遮ろう」とするよう

なものです。今回行われていることは物理的に見えにくいか

ら、その「異常さ」が無視されてしまうけれど、「ウイル

ス」や「感染症」よりも、それを「完全に排除しよう」とす

ることの方が “異常” なのです。アタマの妄想・暴走なので

す。

 人間にとって最大の脅威は、「ウイルス」でも「感染症」

でもなくて、わたしたち自身の “アタマ(エゴ)” です。


 このウイルスのせいで、十代・二十代の子がバタバタ死に

出したら・・・、私も深刻になってみます。





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