2020年3月19日木曜日

「深刻さ」が、 “深刻な事態” を生み出すんだよ  コロナ ⑮



 新型コロナウイルの騒動が世界的に深刻な状況になってき

ているのだが、その深刻さとコロナウイルス本来の深刻さは

かなり違うものになっていると思う。

 コロナウイルスそのものの深刻さに比べてみると、それぞ

れの国の深刻な状況は、その五十倍ぐらいではなかろうか?


 「五十倍」というのは、コロナウイルスの感染を放置して

起こる社会的不利益に比べて、感染を防ごうとすることで起

きている社会的不利益は、その「五十倍」ぐらいあるだろう

ということです。(「五十倍」というのは、単なる雰囲気で

す)


 この騒動が起きて以来、私が注視し続けているのはその

「死者数」だけど、今に至っても、「死者数」を見る限り、

このウイルスは “雑魚” だと思う。それに比べて、社会の対

応の異常さが引き起こす害悪は途轍もないものになり始めて

いる。それは、「死者数」でもコロナそのものを越えると思

われる。なぜこんなことになるのか? それは、わたしたち

「深刻さ」による。


 “生まれつきボクたちは悩み上手にできている” (©井上

陽水)ので、ネガティブにもポジティブにも、すぐに「深

刻」になる。

 今回のような「目に見えない」ものが相手だと、なおさら

そうなりやすいけれど、「深刻」なのはウイルスでも病気で

もなくて、わたしたちのアタマの方です。ウイルスや病気が

「深刻さ」を伴っているのではなくて、ウイルスや病気とい

う情報を受け取ったわたしたちのアタマが、「深刻さ」とい

う心理的劇薬を産生して、心の中を、恐れや不安でいっぱい

にしてしまい、苦しむのです。


 本当は、この世界には「深刻な事」は何も無い。

 「深刻さ」はわたしたちのアタマの中にあるもので、

「事」の方が「深刻さ」を持っていることは無い。わたした

ちのアタマが「深刻さ」を産生しなければ、誰一人として不

幸になることはないし、社会の問題のほとんどすべては消え

てなくなる。「深刻さ」ほど害のあるものは他にないでしょ

うね。


 例えば、「コロナウイルスに感染した・・。死んじゃうか

もしれない・・・」というのと、「コロナウイルスに感染し

ちゃった! 死んじゃうかも~💛」というのでは、かなり違

う。出来事は同じでも、その受け取り方でその後の展開は大

きく違うだろう。

 前者も後者も、共に死んだとしても、どうせ死ぬなら、そ

れまで気楽に過ごした方がいいに決まってるし、明るくして

た方が免疫力が高まるとかいうので、病気自体も重くならな

いかもしれないでしょ?「深刻さ」は百害あって一利なし。

(ダイヤモンドプリンセス号に乗ってて亡くなった人も、不

安の中に押し込められるような状況にならなければ、助かっ

たかもしれないよ)


 わたしたちは、ネガティブな事だけでなく、ポジティブな

事に対しても「深刻」になるように思いこまされている。

 病気や失業などを「深刻」に捉えるのは当然ながら、遊び

さえ「深刻」に捉えて、「『春のセンバツ』が中止になっ

た・・・」と泣いたりする。野球は本来 “遊び” でしょ?


 「深刻」って、「深く刻む」ってことですけど、 何を

「深く刻む」のか?

 「価値あることだ」という思いを「深く刻む」のです。深

く刻み過ぎて、それが自分や社会による恣意的なものだとい

うことが忘れ去られてしまう。

 そして「深刻さ」は、本当に「深刻」なものになり、それ

ゆえにさらに「深刻」に感じられるようになり、いよいよ

「“深刻に” 深刻な」ものになる! 

 「深刻さ」は一旦産生されると、外からそれを止める働き

が入ってこないと、自己増殖してどんどん深くなってしまう

のです。怖いねぇ~。(怖いでしょ?)


 さて、ここへ来て、「なぜ、今日、この話題か?」という

ことなんですが、私は、今日、しなければならないことがあ

ったのですが、それがなかなか上手く出来ずに、ちょっとし

た「敗北感」というか「挫折感」のようなものを感じたので

す。

 それで、しばらく気が滅入ってしまったのですが、そのう

ちに「なんでこんなことで深刻になってるんだ?」と思い始

めて、ふと、こう思ったんです。

 「ホント、人間は “深刻” が好きだな。それなら、いっそ

のこと自分から “深刻” になってやれ!」

 そんな開き直りのいたずら心が湧いてきて、自分から「深

刻になろう!」としてみたんだけど・・・、これが面白いん

ですよね。自分から「深刻になろう!」とすると、「深刻」

になれないんですよ。

 「深刻になろう!」とすると、「深刻」が見当たらなくな

る。「深刻」が捕まえられない。何か「深刻になろう!」と

いう意識が壁になって、「深刻さ」が意識の外に追いやられ

てしまうようなんです。


 だいたい「深刻になろう!」なんて考え自体に「深刻さ」

は無い。むしろ「深刻さ」をなめてる。バカにしてる。「深

刻jさ」は、そんな態度が嫌いなようです。

 「深刻さ」は、「大変だ」と感じて、「なんとかしなくて

は」とか「逃げなくては」というように、その事を「重く」

扱かってもらえなければ、存在意義を失って消えてしまうの

です。


 軽いノリで書いてきましたが、これは結構「重要」なこと

ですよ。

 「深刻」にならなければ、“生きてゆくこと” はどうって

ことはない。


 今すぐ試せますよ。やってみてください。なんでもいいか

ら、自分から「深刻になろう!」としてみてください。「深

刻な事」を考えたりするのじゃなくて、直接「深刻に」なろ

うとしてみてください。絶対、なれませんから。

 「深刻」って、その程度のものだったんです。

 「深刻」って、浅かったんですよ。





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