2020年3月24日火曜日

不幸になれない



 この前、『意識は青空』という話を書いて、「それって結

局、本質的にしあわせってことだな」と考えたりしていた。

 これまでも、《不幸な人もしあわせです》とか言ったりし

ていて、おなじことを違う角度から見て話しているわけなん

だけれど、究極のところ、こういうことなんだろう。


 《 わたしたちは、不幸になれない 》


 これが人気ブログなら、いろんな所から雨あられと石が飛

んできそうな気もするけど、幸いにもここはネットの辺境。

心配はいらない。


 不幸になったり、しあわせを感じたりしているのは、わた

したちのアタマであって、わたしたちそのものではない。

 アタマの「から騒ぎ」から離れたところにある “わたした

ちそのもの” は、常に安定状態。常に平静。いついかなる時

も、落ち着き払っている。「いかなる時」どころか、そもそ

もそこには時間が存在しないので、変化しようが無い。宇宙

の始まりから何も変わることなく “そのまま” のまま。変化

することがないので、アタマの生み出す不幸なども、何の影

響も与えない。だから不幸になりようが無い。不幸になれな

い。


 さっき、このブログを「ネットの辺境」と表現したけど、

ウソと噂と憎しみと妬みなどの生み出す罵詈雑言が溢れかえ

っているネット上のメインストリームは、アタマ達の世界。

それにひきかえ、この辺境は、アタマの「バカ騒ぎ」から遠

く離れていて落ち着いたものだ。ここには不幸は無い。(あ

らまあ、なんとしあわせなんでしょう)


 とうこわけで、いまここ(このブログ上)には「不幸は無

い」ということがあきらかになったので、今これを見ている

あなたも、“あなたそのもの” というしあわせに浸っている

のです。


 「しあわせだなんて思えない!」

 ですか?


 しあわせだと思う必要はないんですよ。

 しあわせかどうかなんてこともどうでもいい。
 

 あなた自身に対する、あらゆる形容詞や修飾語を取り払っ

て、“自分そのもの” を感じ取ってみれば、そこには、「無

意味」で「無価値」で、それ故に、“何にも乱されることの

ない自分” がある。


 “わたしたちそのもの” は、不幸になれないんです。





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