2020年3月7日土曜日
死にたくないのは当たり前だが・・・ コロナ ⑩
さっきニュースを見ていたら、「コロナウイルスの感染拡
大防止の為に、東京の “こども食堂” の七割が活動を自粛し
ている」とあった。それを見て、ムカムカと腹が立ってき
た。
こんな騒動のせいで、貧困家庭の子供がまともな食事を食
べられない。政府は貧困家庭の子供がちゃんと食事をとれる
ような施策も行っていない。事あるごとに「少子高齢化が問
題だ」と言い、何か事件でもあると「子供を守る!」と政治
家が言う。ホントに「子供が大事」なのか? いったい何な
んだ! 何がしたいんだ!
日本に限らず、世界のコロナウイルスに対するこの狂騒は
いったい何なのだろう?
誰だって死にたくはないが、私の目から見ると、この騒ぎ
は常軌を逸している。
誰だって死にたくはないが、人は皆死なねばならない。そ
して、人が死ぬ理由の8~9割は病気だろう。
日本は世界有数の長生きの国だが、その平均余命は約84
歳。「老衰死」するのは100歳前後だろうから、平均余命
84歳というのは、大多数の人が病気で死ぬということを物
語ってもいる。
「老衰死」のことを「自然死」と表現したりもするが、人
が病気になるのは多くの場合「自然」なことだから、病気に
なって人が死ぬのも「自然死」だと私は考える。その自然の
成り行きをある程度まで受け入れるのが、大人のたしなみで
はないだろうか。
昭和の中頃までは「人生五十年」だった。今は「人生100
年」などと言う。
「人生100年」になって、日本人は昔よりしあわせになっ
たのか?
私は、何かをはき違えていると思う。
昭和の中頃、禅僧の沢木興道老師はこんな言葉を残してい
る。(やたらと「長生き、長生き」などと言う人に対して)
「まるで、“長生きしたい病” じゃな」。
今回の騒動がさらにきつくなれば、仕事を失う人が沢山出
るだろう。そのために自殺する人が多く出て、その数はすぐ
に “新型コロナウイルス肺炎” の死者を上回るだろう(統計
には出ないだろうが)。子供の貧困も増加するだろう。医療
崩壊でも起きれば、コロナ以外の病気やケガで医療を受けな
ければならない人がそれを受けられずに死んだりもするだろ
う。
ウイルスによる肺炎は自然の範疇だが、その狂騒から派生
する不幸は、人為によるものだ。
人は、自然がもたらす不幸は辛くても受け入れざるを得な
いだろうが、人為がもたらす不幸はどうしても受け入れがた
いものではないだろうか?
今回世界中で行われていることは、人間の尊厳を守る行為
ではないだろう。表面上は「人の命と健康を守る」と言いな
がら、その実、守りたいのは「エゴ」だ。
わたしたちは自然の一部であり、わたしたちは「死」から
生まれてきた。それを無視すると、人の困難は増すばかりだ
ろう。アタマが悪いよ・・・。
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