2020年3月6日金曜日

そうか、『バイオハザード』か・・。 コロナ ⑨



 今朝ふと思ったことについて書こうと思うけど、その取っ

掛かりとして、まず『バイオハザード』のことから始めなけ

ればならない。


 私は、映画の『バイオハザード』が大好きである。理由は

簡単で、「主演のミラ・ジョヴォヴィッチがカッコイイ!」

という一点だけである。ストーリーは一応退屈せずに観られ

る程度にできていればそれでいい。ミラ・ジョヴォヴィッチ

がカッコよければそれでいいのだ。

 全作観て、 DVD は全部持ってる。暇が出来たら、一日で

全作通して観てみたいと思う・・・、けれど、今日の話はミ

ラ・ジョヴォヴィッチのことではなくて、ゾンビの方だ。


 ゾンビというのは、ご存じの通り “死んでも動き続けてい

る存在” のことで、死人でもなく生きた人間でもない。

 『バイオハザード』の中では、「T-ウイルス」に感染した

人間(犬やカラスなんかも感染する)がゾンビになってしま

い、感染してない「生きている人間」に襲いかかって、喰っ

てしまうのだが、その光景とよく似た光景を少し前に見た。


 三週間ほど前のニュース番組だったろうか。中国の武漢市

から他の町へ非難した男性が外出したところ、近所の住民に

取り囲まれ、小突き回されていたのだが、その様子はゾンビ

に取り囲まれて喰われようとしている映画のシーンそのまま

だった。(「お前はウイルスを広げる気か!」などと言いな

がら、自分から近付いて行く姿はバカ丸出しだったが)


 コロナウイルスの広がりが「バイオハザード」(「生物学

的危害」あるいは「生物災害」)といった認識で捉えられて

いるようだけど、先述の「男性を小突き回していた住民た

ち」は “コロナウイルスの恐怖” に感染し、すでにゾンビと

なっていたのだ。だから行動が「ゾンビ化」していたので

す。恐怖は、人をゾンビ化する。 


 そんなことを今朝考えて、ふと気付いたのがこのブログの

サブタイトル。「~生きられてる?~」と書いてあります。


 このブログを目にする人は、当然「生きている」のです

が、その人に対してこのブログの書き手は「生きられて

る?」と尋ねている。言葉を変えれば「生きながら死んでな

い?」ということです。言ってしまえば「あなた、ゾンビに

なってない?」ということですね。

 社会というものの中でうっかり暮らしていると、わたした

ちはゾンビになってしまうのです。そして、生きている人を

見つけると襲いかかるようになる・・・。


 世界には、わたしたちに恐怖を抱かせるような事が限りな

くある。限りなくあるので、そのいちいちにいちいち恐怖を

感じていたのでは、とてもじゃないが生きていられない。と

いうわけで、わたしたちは恐怖を抱かせるものを「見ないよ

うに」する。しかし、「見ないように」しただけでは、それ

はなくならない。何かのきっかけで目に触れることがある。

 「見ないようにしていたもの」、言葉を変えれば「無いこ

とにしていたもの」が現れたらどうするか?当然、それを消

そうとします。ゴキブリを叩き潰す、あの心理です。


 “文化的な人” がよく使うフレーズがあります。

 「あってはならない」


 一番「あってはならない」のが、「死」です。

 「死」は「あってはならない」。

 だから、「死」は無くす(!)。

 「死」は、消す。

 現代の日本では、「死」は無いことになっているようで

す。だから、コロナウイルスのような “ウイルス界の雑魚” 

(コロナウイルスには失礼だけど)にさえ、今回のような反

応をする。


 「死」を意識させるものも「あってはならない」。

 「あってはならない」のですから、消そうとします。が、

消せるでしょうか?

  消せるわけがないはずですが、意識の上からは消せてい

るようですね。少なくとも「自分のことではない」という意

識で、他人の「死」を見ている。けれど、問題を隠蔽すれ

ば、後でさらに大きな問題になって立ち現れてくるのが、必

然です。時として、それを「自分のこと」として意識せざる

を得ないことが起こる。


 「死」を自分の意識から消して来た人間には、免疫が無

い。なので、「死」のイメージが意識に侵入して来た時には

簡単に感染してしまう。

 そして、感染した「死」のイメージは、その人の意識の中

で、その人の思考を利用して「恐怖」を作り出し続ける。や

がて、「恐怖」に思考を覆いつくされた人は理性を失い、衝

動のままに動く “人ではない何か” になる。つまり、「ゾン

ビ化」するのです。


 このブログのサブタイトルに「~生きられてる?~」とあ

るのは、わたしたちの多くがほぼ「ゾンビ化」していると、

私が感じているからでしょう。

 多くの人が、その心の内に「恐怖」を隠したまま生きてい

る。半分死んでいる。だから、ほんの些細な事でも、自身の

「恐怖」を喚起させるような事に出会うと、すぐに攻撃に出

る。すぐに「ゾンビ化」する。


 今回、書きながら思い出したけど、去年『夏休みが終わ

る・・・。死んでも死ねないよ』(2019/8)という回で、

比喩として「ゾンビ」の話をしている。

 ゾンビにならないために、ゾンビに殺されないために、人

として生きるために、人としてしあわせであるために、わた

したちはどうすればいいか?


 ミラ・ジョヴォヴィッチが演じる “アリス” は、「T-ウイ

ス」を取り込んで超人となった。

 わたしたちは、「死」を意識に取り込んで、それが生み出

す「恐怖」を制御することで、社会的な存在としての “人” 

を超える。生命としての “人” となる。


 どうやったら「死」の生み出す「恐怖」を制御できるか?

 「死」が「恐怖」を生み出すのは、アタマの中の “クズ” 

プログラムのせいだと気付くこと。その「恐怖」という奴

イリュージョンなんだとね。




 
 

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