今日、いつものスーパーに買い物に行ったら、レジで30
分も並ぶはめになった。休みの日にまとめ買いをしようとす
る人間がいっぱい来ていたようだ。
“週に一度、密閉された室内で不特定多数の人の中で30分
過ごす” のと、“二日に一度、密閉された室内で不特定少数
の人と2~3分過ごす” ことのどちらが感染症のリスクを高め
るのか、私には分からないが、前者の方がバカらしいのは確
かだ。
そのスーパーへ行く途中には葬儀屋さんが有るのだが、最
近その前を通るたびにインタビューをしてみたいと思ってし
まう・・・。
「新型コロナウイルのせいで、国内で一か月で20人以上
も亡くなっていますけど、どう思いますか?」
「・・う~ん。うちだけで、このひと月に100人ほどお見
送りしてるんでねぇ・・・」
そんな会話がありそうな気がする。全国の葬儀屋さんは苦
笑しているのではないのだろうか。
普通の人には「死」は非日常だが、葬儀屋さんには「死」
は日常だ。そもそも、誰にとっても「死」は日常の延長には
あるもので、「無いもの」ではない。
葬儀屋さんは「人がどんどん死んでくれても構わない」と
思ってはいないだろう。お見送りする人の中には、年端もい
かない子供が居たりして、自分の仕事が辛くなることだって
あるだろうし、仕事をしながら自分の家族のことを考えたり
してしまうこともあるだろう。けれど、「死」そのものをむ
やみやたらに忌み嫌い、「無いもの」とすることはないだろ
うと思う。それは、当たり前に、「有るもの」だから。
普通の人が「死」を隠して、「死」を「無いもの」にす
る。
一方、そのことが、その分を引き受けなければならない
人々(職業)を生む。
そうやって、見たくないものを排除して、誰かにまかせっ
きりにして、その挙句、それが排除しきれなくなって自分の
前に現れてくると、あからさまに嫌悪感を示し、誰かのせい
にしようと声を荒げる・・・。
ひとりひとりの人にとって、「死」は軽いものではない。
しかし「あってはならない」と忌み嫌い、隠してよいもので
もない。「死」は良くも悪くも、謙虚に、畏敬の念を持ちな
がら、「有ること」として丁寧に受け止めるべき事だろう。
葬儀屋さんに訊いてみたい・・・。
そう、「死ぬのは嫌だ~~」という人には、完璧なアドバ
イスがあるんです。
「生きなきゃいいよ」。
そのスーパーへ行く途中には葬儀屋さんが有るのだが、最
近その前を通るたびにインタビューをしてみたいと思ってし
まう・・・。
「新型コロナウイルのせいで、国内で一か月で20人以上
も亡くなっていますけど、どう思いますか?」
「・・う~ん。うちだけで、このひと月に100人ほどお見
送りしてるんでねぇ・・・」
そんな会話がありそうな気がする。全国の葬儀屋さんは苦
笑しているのではないのだろうか。
普通の人には「死」は非日常だが、葬儀屋さんには「死」
は日常だ。そもそも、誰にとっても「死」は日常の延長には
あるもので、「無いもの」ではない。
葬儀屋さんは「人がどんどん死んでくれても構わない」と
思ってはいないだろう。お見送りする人の中には、年端もい
かない子供が居たりして、自分の仕事が辛くなることだって
あるだろうし、仕事をしながら自分の家族のことを考えたり
してしまうこともあるだろう。けれど、「死」そのものをむ
やみやたらに忌み嫌い、「無いもの」とすることはないだろ
うと思う。それは、当たり前に、「有るもの」だから。
普通の人が「死」を隠して、「死」を「無いもの」にす
る。
一方、そのことが、その分を引き受けなければならない
人々(職業)を生む。
そうやって、見たくないものを排除して、誰かにまかせっ
きりにして、その挙句、それが排除しきれなくなって自分の
前に現れてくると、あからさまに嫌悪感を示し、誰かのせい
にしようと声を荒げる・・・。
ひとりひとりの人にとって、「死」は軽いものではない。
しかし「あってはならない」と忌み嫌い、隠してよいもので
もない。「死」は良くも悪くも、謙虚に、畏敬の念を持ちな
がら、「有ること」として丁寧に受け止めるべき事だろう。
葬儀屋さんに訊いてみたい・・・。
そう、「死ぬのは嫌だ~~」という人には、完璧なアドバ
イスがあるんです。
「生きなきゃいいよ」。
0 件のコメント:
コメントを投稿