2020年3月15日日曜日

葬具屋さんに訊いてみたい コロナ ⑬



 今日、いつものスーパーに買い物に行ったら、レジで30

分も並ぶはめになった。休みの日にまとめ買いをしようとす

る人間がいっぱい来ていたようだ。

 “週に一度、密閉された室内で不特定多数の人の中で30分

過ごす” のと、“二日に一度、密閉された室内で不特定少数

の人と2~3分過ごす” ことのどちらが感染症のリスクを高め

のか、私には分からないが、前者の方がバカらしいのは確

だ。


 そのスーパーへ行く途中には葬儀屋さんが有るのだが、最

近その前を通るたびにインタビューをしてみたいと思ってし

まう・・・。


 「新型コロナウイルのせいで、国内で一か月で20人以上

も亡くなっていますけど、どう思いますか?」


 「・・う~ん。うちだけで、このひと月に100人ほどお見

送りしてるんでねぇ・・・」


 そんな会話がありそうな気がする。全国の葬儀屋さんは苦

笑しているのではないのだろうか。


 普通の人には「死」は非日常だが、葬儀屋さんには「死」

は日常だ。そもそも、誰にとっても「死」は日常の延長には

あるもので、「無いもの」ではない。


 葬儀屋さんは「人がどんどん死んでくれても構わない」と

思ってはいないだろう。お見送りする人の中には、年端もい

かない子供が居たりして、自分の仕事が辛くなることだって

あるだろうし、仕事をしながら自分の家族のことを考えたり

してしまうこともあるだろう。けれど、「死」そのものをむ

やみやたらに忌み嫌い、「無いもの」とすることはないだろ

うと思う。それは、当たり前に、「有るもの」だから。


 普通の人が「死」を隠して、「死」を「無いもの」にす

る。

 一方、そのことが、その分を引き受けなければならない

人々(職業)を生む。

 そうやって、見たくないものを排除して、誰かにまかせっ

きりにして、その挙句、それが排除しきれなくなって自分の

前に現れてくると、あからさまに嫌悪感を示し、誰かのせい

にしようと声を荒げる・・・。


 ひとりひとりの人にとって、「死」は軽いものではない。

しかし「あってはならない」と忌み嫌い、隠してよいもので

もない。「死」は良くも悪くも、謙虚に、畏敬の念を持ちな

がら、「有ること」として丁寧に受け止めるべき事だろう。

 葬儀屋さんに訊いてみたい・・・。



 そう、「死ぬのは嫌だ~~」という人には、完璧なアドバ

イスがあるんです。


 「生きなきゃいいよ」。




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