2020年3月29日日曜日

「ロックダウン」と「かすみ提」 コロナ ⑱



 ちょっと前に、『ウイルスと「移民・難民」』というタイ

トルで、「日本はなぜヨーロッパの国のようにコロナウイル

スで大混乱を起こしていないのか」という話(思い付き)を

書いたのだけれども、それに加えて、こういうことも考えた

(思い付いた)。


 昔からよく言われることだが、ヨーロッパ人は「自然は克

服するもの」と考えるが、日本人は「自然と折り合いを付け

る」ように動く。その違いが、日本とヨーロッパ・アメリカ

との状況の差を生んでいるのだろうと。感染症は自然現象だ

からね。


 「政府の初動が遅かった」などと言われるが、日本人は自

然の様子をうかがいながら、上手くやり過ごそうとするもの

だ。少なくとも今まではそうして来たし、その習性は深く根

付いているので、なんだか「ダラダラ」と動いているように

見える(実際そうだけど)。けれど、今回はそれが功を奏し

て、ヨーロッパの国などから「なぜ日本は、感染者・死者の

急増が抑えられ、社会活動をある程度維持できているん

だ?」といった驚きの声が出ることに繋がっているのだろ

う。


 日本人は「まず自然有りき」「自然には逆らえない」とい

う考えで生きてきた。

 「こちら(人)が、自然に合わせる」と。

 一方ヨーロッパの人は「自然は克服するもの」「自然の方

を変えて、こちら(人)に合わせる」というやり方で生きて

きた(中国もね)。

 言い換えれば、日本人は「現実的」で、ヨーロッパ人は

「観念的」なんだね。


 ヨーロッパの国は「観念的」でイデオロギーの力が強いの

で、「感染症」などという “不要な自然” は完全に排除しよ

うとする。

 イデオロギーの前には、人の暮らしだとかの “現実” は二

の次で、だから「ロックダウン」などということがすぐやれ

てしまう。もともと、「城郭都市」なんて作って、敵を排除

しようとしてきた人たちなのだから、ああいうやり方を選ぶ

のは自然なんだろう。それで上手くゆくのならいいけど、相

手の正体も状況もよく分かっていないまま強引なことをする

ので、あんなふうになってしまう。


 かたや日本では、様子をうかがいながら「のそのそ」「じ

わじわ」と「その場しのぎ」を続けている。「あんまり酷い

ことにならなければ、まぁいいか」というような感覚が根底

にあるのだろう。それが、日本がある程度の平静を保ってい

る理由じゃないだろうか。

 この感じで、「のそのそ」「じわじわ」と「その場しの

ぎ」で “いなし続けて” ゆけばいいと思うね。


 ところが、安倍総理などはヒロイズムが好きで、欧米風が

お好みなので、「コロナウイルスとの闘いに、完全に勝利す

る!」などと言ったりしてるし、小池百合子というお調子

のオバサンも「ロックダウン」とか「感染爆発」「オーバ

シュート」などとか言いたがる。

 総理大臣や首都の首長が、ああいう「観念的」な発言をし

ていては、この先不安だね。まぁ、そう言わざるを得ない事

  「安心安全原理主義者」どもが見張ってる  という

のもあるのは分かるんだけどね。


 極端な施策をとらずに、ある程度の発症者・死者は容認し

ながら、「のそのそ」「じわじわ」と事態をやり過ごすのが

日本的だし、かえって良い方向に向かうんではないだろう

か?そもそも、大した「感染症」でもないんだし。


 中国やヨーロッパ・アメリカのやり方は、「観念的」で強

引だよ。自分たちの世界に、「感染症」などという “自然” 

が断りも無く入り込んでくることが許せないんだろうな。だ

からこの程度の「感染症」でも、ヒステリックに排除しよう

とする。でも、その結果があの状況ではね・・・。


 武田信玄は洪水対策として「かすみ提」というものを作っ

た。

 洪水を完全に封じ込めようとするのではなく、堤が決壊し

て大被害にならないように、溢れた水を田んぼなどに流すよ

うに、わざと堤の一部を低くした。そのように、自然をいな

すのが、日本的で、かつ、賢いやり方だと思うね。受け入れ

つつ、「のろのろ」「じわじわ」とやり過ごす・・・。
 

 それで、日本がヨーロッパより優れてるとは言わないけれ

ど、自然との関わり方においては、上手なんじゃないかな。

まあ、経済に踊らされて、酷い失敗も沢山してきたわけだけ

どもね。


 「観念(アタマ)」が前面に出てくると、物事はロクな方

に進まない。



 

0 件のコメント:

コメントを投稿