2020年3月8日日曜日

責任者の「無責任」 コロナ ⑪

 

 今、世界を席巻している “新型コロナウイルス” の騒動

は、私がいままでの人生の中で見て来たことの中で、一番

「気持ち悪い」ことだと感じている。


 各国の対応は、私の見方からすれば合理性を欠いているの

だが、どの国も「新型コロナウイルス」という “新しいキャ

クター” と、そのストーリーを受け入れて、視野狭窄を起

しているようだ。

 今や、私の関心は「なぜ、世界はこのようなストーリーを

受け入れるのだろうか?」ということに移っている。


 ウイルスは目に見えない。電子顕微鏡を使えば、一応「見

える」。

 ウイルスの振る舞いもよく分からない。人体実験は出来な

いので(していないはずです。人道的に・・)、実験設備の

中で知りえたウイルスの性質と、感染した人の状態から類推

して「ウイルスが引き起こすこと」を推察しているというの

が実際のはずです。だって、『ミクロの決死圏』という映画

のように、人の体内で直接何が起きているかを観察すること

はできないからね。


 現代に生きているわたしたちは、ウイルスという目に見え

ないものを「可視化した」つもりになって、その性質を「分

かった」つもりになっているけれども、結局は妄想を現実視

しているだけなのではないのだろうか?


 同じような症状を見せて人が続けて亡くなったりする。そ

の様子に「伝染病」というストーリーを見いだして、「次は

自分かもしれない・・・」と恐れる。

 その “「伝染病」というストーリー” が、昔は「疫神」や

「妖怪」や「死神」のしわざだったのが、現代では「ウイル

ス」や「細菌」といった「病原体」という言葉に置き換わっ

て、「感染症」になっただけなのではないのか?


 「天然痘」が撲滅されたことを考えれば、「ウイルス」や

「細菌」というものが、「“感染症” を引き起こすこともあ

る」という考えは間違ってはいないだろう。けれど、「感染

症」というストーリーの中には、まだまだ広大な闇が残され

ているのは疑いようが無い。ところが、その「疑い」を無視

て、世界中が不完全なストーリーを受け入れて、硬直化し

振る舞いを見せている。

 「物語(ストーリー)の枠組みが変わっただけで、人は相

変わらず同じことを繰り返すのだな・・・」と、私は思う。


 わたしたちは、電磁波だとか、放射能だとか、紫外線だと

か、低周波だとか、温暖化だとか、自分自身の感覚ではハッ

キリとはつかめない「見えないもの」を、「見て」、その

を恐れるけれど、それは、思考では自分の生きている世界

を認識しきれない為に、その「認識しきれない」部分に物語

を持ち込まざるを得ないという、悪業ではないのか?


 《莫妄想》


 「妄想するな」という教えは仏教のものだけれど、それ

は、「勝手なストーリーを組み立てれば苦しむことになる」

ということだ。


 実際に起きる出来事を「そのまま」に見れば、それは現実

だが、「そのまま」に見ることが出来なければそれは「妄

想」だ。


 世界中の責任のある立場の人間たちが、「妄想」の中でも

のごとを決めて行く・・・。

 それは最早、「正しい」か「正しくない」かという問題で

はなく、「当たり」か「外れ」か、という話でしかない。な

のに、その判断で、実際の世の中が動いて行く・・・。これ

が気持ち悪くないほうが不思議だ・・・。

 少なくとも、「自分の判断には、確固とした根拠はない」

という認識だけは持たなければならないだろうが、そんなも

の、どこにも無いようだ・・・。


 ここまで書いたことに「確固とした根拠」など有りはしな

いが、少なくとも私はそのことを踏まえた上で言っている。

何の責任も無い立場だけれどね。



 

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