2020年3月12日木曜日

風はやまない



 「こんなブログなんか書き続けていて何になるのだろう」

なんて思いが、時おり頭をかすめることがある。あるけれ

ど、すぐにこう思う。「そんなこと知らない。そもそも私が

生きていても何にもならない。自分が何をしていようと、私

の知ったことではない。世界は惰性で動いているのだか

ら・・・」。


 どんなに気に食わなくても、起こってしまうことはしょう

がない。そういう風になっているということなので、「そう

いうことか」と、自分なりに受け止めるしかない。


 いま、「そういう風(ふう)・・・」と書いて気が付いた

けれど、「ふう」に「風」という字が充ててある。ものごと

は「風(かぜ)」と同じで、どこからか吹いて来るものなの

だな。昔、ことばを作ったり、漢字を充てたりした人たち

は、ホントによく考えてると感心することがよくある。


 「風」というものは、どこかで生まれるというものではな

い。この地球で最初に風が吹いたその時から、風は止まるこ

となく吹き続けている。

 もし風が止まったら、地球の生態系は崩壊する。

 熱循環とさまざまな物質の拡散・循環が止まり、ほとんど

の生物が死に絶えてしまう。


 「風」には実体は無い。「風」は大気の流れであり、どこ

かから始まっているわけでもない。始めも終わりも無く、ひ

たすら動き続けている。地球上のすべての場所で、その時そ

の場所に、その時その場所だけの風が吹く。そう考えると、

「風というものは “世界” の在り方を象徴するようなものだ

なぁ」などとも思う。


 すべては、始めも終わりもなく、動き続けている。「諸行

無常」などと言ったりもする。

 すべては動きづめに動いていて、変わりづめに変わり続け

る。世界も変わるが、自分も変わる。何ひとつそのままにし

ておくことができない。

 白色矮星などは、冷たく硬く動きを止めているけれど、そ

れでも宇宙を移動しているし、何十億年か経てば、宇宙の動

きに取り込まれて、新しい星の材料になったりもするだろ

う。


 何かを「とどめよう」とすることは、世界の理(ことわ

り)に逆らうことだし、それが実現することはない。もしそ

れが実現したら、世界の理が壊れたということなので、たぶ

ん世界が崩壊する。


 気に入ろうが気に入らなかろうが、世界も自分も変わって

行く。その変化を無理して止めようとすると、くたびれて、

その挙句、余計に苦労するのが関の山だと思う。まぁ、人が

それを「止めよう」とするのも、「そういう風になってい

る」ということなのだが・・・。


 その時その場所にどんな風が吹いて来るとしても、そうい

う風(ふう)になっているのだから、それを上手に受けるの

が、人としての力量ということでしょう。

 それを利用して「上手くやろう」とかいうのではなくて、

「機嫌よく」風を感じるのがね。
 

 風は止められない。

 風は止まない。


 風が止まった時は、わたしたちが死ぬ時。

 変化を拒絶する時、わたしたちは死へと向かう。

 「死」を拒絶することさえ、死を引き寄せる。


 風は止まない。





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