2020年4月12日日曜日

わたしの星座、あなたの星座



 NHK の『こころの時代』で、『ゲド戦記』を翻訳された

清水真砂子さんの話を聞いた。

 いくつも印象に残る言葉があったのだが、ある時、オリオ

ン座を見たときに、「昔の人がこの星々をつないで、オリオ

ンという戦士のストーリーを与えてくれたおかげで、今、わ

たしたちは、星座というひとかたまりのイメージを持つこと

ができる。もしそのストーリーが無かったら、それはバラバ

ラに散らばっている星々でしかないだろうと思った」といっ

た話をされていた。


 同じようなことは私も考えたことがあったけれど、今回

は、その話をとても新鮮な感じで受け止めた。そして、こう

思った。

 「この世界のすべての事象はそれぞれ一つの星のようなも

ので、わたしたちがそれぞれにその事象をつないで、それぞ

れのストーリーを作り、それを世界とみなしているんだな」

と。誰もがそれぞれの星座  世界  を見ているんだ。


 いま、天文学の便宜上、星座は世界共通で決められている

けれど、もともとは、それぞれの民族や地域で独自の星座を

持っていた。

 北斗七星は、西洋では “大熊座” の一部だけれど、日本で

は “ひしゃく” や “舟” (高天原へ通う舟)と見ていたり、

文化背景によってそれぞれ見方が違う。けれども、それでは

西洋と日本では話が通じにくいので、共通認識として一つの

見方を決めている。


 わたしたちの “世界観” も星座と同じことで、共通認識を

持たない事には社会が成り立たない為、お互いに “ある世界

観” に合わせている。けれど、それは結局便宜上のものでし

かない。それはある見方でしかないので、それが真の、正し

い “世界観” というわけではないのだ。良い社会というもの

は、一応 “ある世界観” を共有しながらも、それぞれの “世

界観” が存在することを否定しないものだろう。ひとつのド

グマが支配する世界は恐ろしいものだ。

 「社会的な正しさというものは、あくまでも便宜上のもの

でしかない」という認識を常に持っている社会に、私は住み

たい。


 社会が描く星座を共有しつつも、それぞれの人にはそれぞ

れの星座があることを心に留めておく・・・。

 私の星座や、あなたの星座があっていいし、あるはずなの

だ。


 もともと星々(事象)はつながりを持っていない。どれが

正しいというわけじゃない。

 私が、あなたのつないだ星座を示されて、「面白い」とか

「美しい」とか思うかもしれないし、あなたが私の描く星座

を見て、「怖い」とか「楽しい」とか思うかもしれない。

 しかし、単一のドグマは、個々の持つ「美しさ」や「楽し

さ」「怖さ」といった、さまざまな可能性を消してしまう。

それは、人にとって不幸なことだろう。


 世界に散らばる “事” と “事” をつないで、私は私の星座

を描く。

 それを見て、「面白い」と言ってくれる人がいるなら、素

直に嬉しい。

 そして、それを見て、今までとは違う空の姿に心をひらか

れる思いを持つ人がいてくれるなら、何よりだと思う(自分

の星座をむちゃくちゃにされて、怒る人もいるだろうが、そ

れはしょうがない)。


 人は、社会の描く “事” と “事” の並びにがんじがらめに

されて身動きできなくなってしまう。でも、それだけではな

いし、それが絶対でもない。

 自分の目で、空を眺めるべきなんだ。

 そしてたぶん、空は、それを喜ぶんだ。




0 件のコメント:

コメントを投稿