2020年4月18日土曜日

ヒューマニズムの破綻


 「ヒューマニズム」というのは、「ニズム(イズム)」と

う言葉が付いているように、主義・ 思想だ。それは、観

であり、アタマの作り上げたものであって、人間が自然の

部であることから見れば、奇妙なものだ。


 「ヒューマニズム」が大切にするのは、生物的な「命」。

して、人としての「尊厳」。

 あとの諸々は、それに付随して生まれるものでしかない。

しかし、「命」と「尊厳」というものが “何か” というと、

はなはだいい加減だ。


 近年、「尊厳死」ということが言われるようになってきた

けれど、この言葉の前では「ヒューマニズム」は立ち往生す

る。「命」が大事なのか「尊厳」が大事なのか?

 ただただ生物的に生かせばいいのか、それよりも精神的に

尊重すべきなのか、それに直面した者はきっぱりと答えが出

せなくて苦しむだろうが、そもそも「尊厳死」についての問

題というものは、人工呼吸器だとか胃ろうだとかいう技術が

できたおかげで生まれた、現代的な精神疾患だといえる。

 「命」と「尊厳」を大切にしてきた「ヒューマニズム」

は、その追求の挙句に、「ヒューマニズム」そのものの欠陥

を自ら浮き彫りにしてしまった。「尊厳死」というかたち

で。


 「ヒューマニズム」は主義・思想であり、「命」あるいは

「死」という “自然” とは相容れない。それどころか、「尊

厳」という人の “精神” の部分とさえもフィットしない。

「尊厳死」というものを前にして「ヒューマニズム」が困っ

しまうことが、それを証明している。いいかげんに、人は

「ヒューマニズム」を卒業すべきだろう。


 “自然” と “精神” という、人よりはるかに大きく、自分た

ちの存在の母体であるものの在り方対して、自意識が対等で

あろうとするのは、小賢しいと言うしかない。

 美辞麗句でどんなに飾っても、「ヒューマニズム」は “エ

ゴ” でしかない。それは、かえって人の「命」と「尊厳」を

損なう。迷いを生み、苦悩を生む。


 「ヒューマニズム」は古代からあっただろう。人が自分た

の「命」を、自分たちの「尊厳」を守りたいと思うのはご

自然だから。しかし、人が科学技術とその成果としての膨

なエネルギーを手に入れてから、「ヒューマニズム」は暴

走してしまった。思い上がってしまったのだ。“自分たちは

「命」と「尊厳」をコントロールできる” と・・・。


 ところが、その果てに行き着いたのが「尊厳死」という矛

盾だった。


 「ヒューマニズム」は破綻しているのだ。

 「イズム」ではない「世界観」が必要なのだ。

 本当の意味で「命」と「尊厳」を見つめ直して、「生き

る」とは “何” なのかを問わなければならない。その答えが

出るまで、自分と世界に関するあらゆる答えは、 “保留” 

だ。

 答えを知りもしないのに、知ったような振りをするから、

今回の「コロナ騒動」のような狂乱を生むのだ。

 どんなに不安でも、分からないことは分からないままにし

た方がまだましだろう。


 「ヒューマニズム」は一見美しい。

 けれど、それは飾られた「エゴ」なのだ。




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