2017年10月14日土曜日

期待に応えない!


 私は、他人に期待しない。

 もちろん、他人に頼み事をしたりはするが、その人に出来

て当然の事を頼むのは、別に「期待」という程の事ではない

し、その人がそこまで出来るかどうか判らない時は、「出来

ればいいな」ぐらいの事しか思っていない。

 なぜ期待しないかというと、私に《 “「他人に期待する」

権利” は無い》からです。

 それと同時に、他人が《こちらの期待に応える義務は無

い》からです。



 契約がある場合は違いますよ。そこには、義務が生じます

からね。

 プロ野球のピッチャーが、シーズン 20 勝を期待され、年

俸 5 億円の契約をしたら、期待に応えなくてはなりませ

ん。ですが、高校野球のピッチャーが甲子園で全勝すること

を期待されても、それに応える義務は無いし、周りに期待す

る権利も無い。

 例え、監督やメンバーが勝利を期待したとしても、それは

その人たちの勝手です。「勝てたら嬉しいね!」ぐらいなら

いいけれど、「お前ならやってくれると信じてる」みたいな

ことになって来ると、話は別です。

「なんの権利があって、そんなプレッシャーを掛ける? 」

 そう思って良いと思う。



 周りに適任だと評価されて選ばれた訳だから、当人はその

評価に見合ったピッチングをしようとするだろう。ただそれ

だけの事だし、皆の喜べる結果が出せたら、一緒に喜べばい

いだけの話。



 自分が喜びたい為に、他人に期待なんかしちゃいけない。

 自分の事は、自分で喜ばせてくれ。

 なぜ、他人に自分の喜びを託す?


 「私は他人に期待しない」と言いましたが、他人に物を頼

んだ時には、「期待する」のではなく、「様子を見ている」

だけですね。もし、その人がもっと高い目標に向かいたいと

いうのであれば、「どうぞ、やって下さい。応援しますよ」

という感じです。何を、何処まで目指すかは、その人の問題

であって、他人がとやかく言ったりする事じゃない。


 それは、仕事の関係でも同じです。

 取引き相手との契約に関しては別ですが、職場の中で仕事

を頼む時は、その人なら出来るだろうと考えて頼むもので

す。もし出来なかったら、「あぁ、出来なかったか。もう次

から頼めないな。」というだけです。

 「なぜ、できない!」と批判しても無意味です。出来ない

んだから。

 「少しレベルの低い仕事をしてもらって、スキルが上がる

様なら、また頼んでみよう」という判断をするだけのことで

す。

 あまりにも能力が低すぎて、仕事に支障が出るほどなら、

本人と相談ですね。

 「どうしよう?」

 「どうする?」

 って。

 本人も困ってるでしょうから。


 逆に、予想以上に仕事が出来る場合は、「凄いね!そんな

感じでやってくれたら、すごく助かる!」と言って、お互い

に喜べばいい。それだけのことです。


 仕事の場合は、そんな感じですが、これが夫婦・親子・恋

人同士なんかになると、「期待する」なんて、以てのほかで

す。

 親密度が桁違いですし、遠慮が無いですから、迂闊に期待

したりすると、相手にとっては “大きな圧力” に成りかねま

せん。

 「家事をもっとちゃんとして」

 「もっと稼いで、もう少し早く帰ってきて」

 「テストでいい点を取って」

 「お片づけをちゃんとして」

 「愛してると言って」

 「そろそろ結婚して」

 大なり小なり、いくらでも有りますが、期待なんてするも

んじゃない。

 いったい、何の権利が有って「期待」する?

 それぞれが、“自分の出来ること” を “出来るだけ” すれば

いいし、お互いの間に信頼や思いやりがあれば、自ずから相

手の希望に合わせようとするものです。


 そもそも「期待」って、なんですか?

 私は、《「期待」は「依存」に過ぎない 》と思います。

 自分のエゴの投影です。

 人を束縛する行為です。

 他人に自分のエゴを投影するなんて、傲慢です。
 

 うっかりすると、他人を利用します。

 「わたしを機嫌良くさせろ」というわけです。

 さらにうっかりすると、他人を裁きます。

 「ガッカリした・・」と。

 自分が投影したエゴが挫折させられるからです。


 「期待」という言葉は、「期待は良いこと」という文脈の

中で使われますが、私はとんでもない事だと思います。

 子供が親の期待のせいで、潰されたり歪められたりするの

は、程度の差はあれ、ごく普通です。

 夫婦や恋人同士の問題は、たぶん 100%「(その時点で

は)相手に無いものを期待する」事から、生まれます。
 

 少しばかりの希望は持ちつつ、あるがままの、なるがまま

のその人を見守って行く。

 人間関係は、そういうものである方がいい。
 

 肩の力を抜いて、自分を育み

 その姿を、お互いに見守り

 それぞれの成長を喜び合う
 

 それは、幸せな事だと思いませんか?


 「強く・高く・速く・大きく・多く・・」そんな事、他人

に求めて、何が面白い?

 やりたかったら、自分でやればいい。


 「人の成長を促す」

 そんな事を言う人もいるでしょう。

 大きなお世話でしょう?

 その人にとって何が「成長」か? そんな事誰に分かる?

 ほんとにその人の事を思っているなら、その人のあるがま

まを、“ただ見守る” ことと、 “求められたら手を貸す” こと

以外にすべき事は無い。


 人が、「期待」なんかしなくなったら、誰もが無用な重荷

から解放されて、世の中はゆったりと、穏やかに、今よりも

楽しくなるだろう。


 そして、他人からの期待が無くなれば、それに影響された

「自分自身に対する期待」も持たなくなり、人はごく自然な

成長をするだろう。


 わたしたちは、大昔から続く “おかしな癖” をいくつも伝

えて来た。

 「期待」もその一つ。


 変な癖は直して、のびのびと、すっきりと、気楽に成長し

たいものですが・・・。





 

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