2017年10月5日木曜日

誰にでも事情がある


 この前、チェット ベイカーについて書きましたが、彼が

何故ヘロインに手を出したのか、そのあたりの事情を私は知

りません。別に知りたいとも思っていません。そんなこと知

っても仕方ないですからね。

 本人自身が認識しているかどうかに関わらず、当時ヘロイ

ンに手を出してしまう「事情」が有ったわけです。そして、

薬物を使い続ける「事情」が有り、トランペットを吹き続け

る「事情」が有り、ホテルの窓から転落する「事情」が有っ

たわけです。

 彼には彼の、止むに止まれぬ「事情」があって、あの様な

人生を送った。それを、他の人間がなんだかんだと批判した

り、面白おかしく話題にしたりする。それは、まぁ仕方のな

い事だろう。


 わたしたちは他人の事を話題にする時に、「他にやり様が

無かったのか」とか「一体、何を考えてあんな事をしたん

だ」とか、済んでしまった事をとやかく言うのが常です。

 「何で・・?」と言ったって、当人には当人の「事情」が

有ったわけです。


 誰にでも「事情」が有ります。

 私にも「事情」が有ります。それは、生得的な事、生い立

ち、さまざまな経験、身体の状態、あたまの程度、経済状

況、家庭の状況、友人関係、仕事にまつわる事、興味の対

象、生活環境、今居る所の気象条件、などなど、無数の「事

情」がその時その時の私を取り巻いています。

 それは、あなたも同じ事ですし、金 正恩も、ドナルド ト

ランプも、イーロン マスクも、テイラー スウィフトも、全て

人間のみならず、おなかの中の大腸菌も、近所の野良猫

も、地球も太陽も銀河も宇宙も、石ころも空き缶も、それぞ

れの「事情」を抱えています。


 他人が「何で?」なんて思っても、当の本人だって「何で

か?」なんて分からない。

 せいぜい、自分を取り巻いている「事情」の一端が分かる

だけですし、「事情の一端が分かった」という事が、“「事

情の一端が分かった」という新たな事情” として加えられる

だけでしかありません。気が付いたら「そうしてしまって

る」のです。


 すごく立派な、思いやりにあふれた行ないをする人もいれ

ば、冷酷非道な行ないをする人もいる。

 それは、その人の「事情」がそうさせるのであって、その

人が「そうしたい」と思った結果であっても、「そうした

い」と思わせた「事情」が有るわけです。


 すべてのものが「事情」に動かされているだけです。

 人が犯罪や犯罪的な行為をするのも、「事情」が有るわけ

だし、その犯罪や犯罪的行為を、非難し、罰を与えたりする

のも「事情」が有るわけです。

 妻にも夫にも息子にも娘にも、それぞれの「事情」があっ

て、どうしようもなく “泣いたり” “笑ったり” しています。


 昨日は、「理由」について書きましたが、わたしたちが自

らを振り返る時。無数の「事情」に取り巻かれ、その「事

情」に押し出される様に “今” を生きている事に気付きま

す。

 言い訳をする時には、言い訳をしてしまう「事情」が有る

のだし、言い訳を不愉快に感じる方にも、不愉快を感じる

「事情」が有る。

 地震が起きるのだって「地球の事情」です。


 《 誰にでも事情がある 》


 どうしようもないのです。
 

 わたしたちは、日々、さまざまな事に悩まされ、困らさ

れ、傷付けられて生きています。

 声を荒げたくなる時。

 溜め息を吐きたくなる時。

 歯ぎしりをしたくなる時

 《 誰にでも事情がある 》

 そう呟いてみれば、「その人」を、「その事」を、そして

「自分」を、すこし許せるのではないでしょうか?

 すこし許せれば、すこし気持ちは安らぐのではないでしょ

か? すこし生き易くなるのではないでしょうか?
 

 誰もが、「どうしようもなく」生きています。

 本当は、〈善意〉も〈悪意〉もありません。

 “善を行なってしまう人” と “悪を行なってしまう人” があ

るだけです。

 それらの人が、それなりの扱いを受けるのも「どうしよう

もありません」。そういう「事情」です・・・。


 そういえば、種田山頭火がこんな句を遺しているそうで

す。


 【 どうしようもない わたしが歩いている 】


 ただ生きている。ただ生きてゆく・・・。

 ・・・そんな、想いなんでしょうね。



 このブログが、あなたの「少し気持ちが安らぐ “事情”」

 になれば、幸いです。



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