2017年10月19日木曜日

【吾唯足知】「満足」の使い方 





    【吾唯足知】


 この言葉をご存じでしょう


か?


 右の様に書くのですが、


 京都の龍安寺の “つくばい” に彫られているの

が、有名です。「吾れ、唯、足るを知る」と読ん

で、「少欲知足」を促す言葉と考えてよいわけですが、《足

りない物は「満足」だけ》のわたしたちには、必須のたしな

みだと思いますね。


 《足りない物は「満足」だけ》というのは、先日ブログを


書いている流れの中で、自然に出て来た言葉ですが、我なが

ら「すごいの出ちゃったな。」と後で思いました。

 だいぶ前に、唐招提寺の千手観音について書いた時、「す

べて与えてある」という話を書きましたが、わたしたちには

「すべて与えてある」のだから、足りないとしたら「満足」

だけという事になりますね。「いや~ぁ、後世に残る言葉か

も知れないなぁ」などと思ってしまいます。
 

 それはともかく、「すべて与えてある」なんて、とても承

服出来る話じゃないですよね。「あれも、これも足りない

よ」と思ってしまいます。

 確かに「もう少しお金があったら」とか、「良い仕事があ

ったら」とか、「持病が治ったら」とか思います。考えるほ

どに「足りない」です。ですが、その「足りない」は、ある

状況を想定しての話です。その様な状況が訪れる時が来るか

も知れませんが、さしあたりの今は、今の状況です。今在る

ものがすべてです。満足だろうが、不満足だろうが、今在る

ことがすべてです。無いものは無い。

 ですが、「無い」ことは「足りない」ことではありません

ね。“自分が望むもの” が無いだけで、“今あるもの” はすべ

てあります。気に入ろうが、気に喰わなかろうが、その様に

なってます。だったら、拗ねたり、怒ったり、悲しんだりし

てネガティブモードになるだけ損です。


 「すべて与えられています」

 社会の教える価値観や、生物としての本能的な欲求を持っ

て比較することを辞めれば・・。


 と、口で言うほど簡単な事ではありませんが、そうしなけ

ればほんとうの「満足」は得られません。

 今に「満足」し、その「満足」に立って、次の今を迎え、

次の今に「満足」する・・。そうやって続いて行く。

 それがいつまで続くのかなんて分かりません。

 あっさり終わってしまうかも知れません(死ぬという事で

すが)。でも、「満足」の中で死ねる事になりますね。


 「足るを知る」というのは、途方もない智慧ですね。

 それは、わたしたち人間が本来持っているもので、「アタ

マ」のおしゃべりの奥で、いつでも、黙って存在しているも

のなんですね。

 
 なんて、イイカッコ言ってますが、この頃、私自身が「足

りない・・」と泣きそうな日々が続いているので、このブロ

グに書くことで、必死になって自分に言い聞かせているので

す。“言うは易し、行うは難し” 。
 
 でも “行うは難し” の、この私自身が、与えられたもので

すから、その “自分” にも「満足」してしまえばいいわけで

ね。

 「不満」でも「満足」して、「満足」できることに「満

足」して、今を修めて行ければ幸せです。

 難しくて簡単。簡単だけど難しい。

 ふらふらしながら、それでも生きてみるだけです。


 社会的に “失敗” するかも知れません。

 人間的に “敗北” するかも知れません。

 それは、確かに “失敗” や “敗北” なのでしょう。 けれ

ど、あくまでも「社会的」「人間的」な見方からすればの話

です。 

 50歳ぐらいで事故や病気で死んだら、それは “敗北” でし

ょうか? 古いアパートの一室で、誰にも気づかれずに死ん

だら、それは “失敗” でしょうか?

 「そんなの嫌だ!」と思う人からすれば “失敗” でしょ

う。

 「それは負け犬だ!」と思う人からすれば “敗北” でしょ

う。

 そう思いたい人が、「そう思う」だけです。

 そう思ってる人が、一人淋しく死んで行くかも知れませ

ん。


 「“失敗” も “敗北” も無い」と決めれば、その人には “失

敗” も “敗北” も存在しません。世の中の言い分を鵜呑みに

して、自分の人生に “成功” や “勝利” を設定するから、“失

敗” や “敗北” が生まれるのです。そして、“失敗” も “敗

北” も尽きることはありませんから、わたしたちは傷付き続

けるしかありません。

 「今 ある そのまま」が「今 ある すべて」ですか

ら、そのままに受け止めて、今を「満足」しなければ、落ち

着ける時は来ません。(自分に対して、暴力が振るわれる時

は別ですよ)


 泣きながらでも、怯えながらでも、呆れながらでも、

 「吾れ、唯、足るを知る」

 それが、人を “あるべき自分” に落ち着かせる。


 そう、ヨーロッパのことわざにも、こんなのがありまし

た。

 《 満足こそ賢者の石である

   それにふれるすべてのものを 黄金に変えるから 》

 これを言い換えれば、「賢者は満足することを知ってい

る」ということになりますね。

 あなたにも私にも、その「賢者の智慧」は与えられている

はずです。


 《 「満足」を自分に用いて、「満足」に安らごう 》


 今日はここまで。




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