2017年10月18日水曜日

「アタマが悪い」的、辞書


 前回書いた様に、今日は “言葉の修正” を。



 早速、始めましょう。

    (=の後は、私が修正した意味です)

 「恋愛」=「恋」と「愛」を一緒にしてはいけません。

 「恋」 =性欲にもとずく人間関係で、強い執着と独占欲

      を伴い、自分中心のものの見方が顕著になる。

      対象者との間で、性欲と執着の利害が合致した

      場合は、あたかも利他的な心情を持っている様

      に見えることがある。

 「愛」 =執着と打算を伴わずに、友好関係を築こうとす

      る心理状態で、人間関係を築く上で最も望まれ

      る心情である。「恋」から「愛」に移行する事

      もあるが、非常に稀である。(本来は仏教の

      「渇愛」のことであり、執着を表わす言葉で

      あるが、現代の社会通念に則して、執着の意味

      を除いた)

 「理解」=物事の成り立ちの因果関係を把握すること。

      「共感」と混同されて使われることが多く、注

      意が必要である。  例・「ヒトラーの考えを

      理解する」などと発言すると、「ヒトラーの考

      えに共感する」と歪曲して捉えられる事が多

      い。

 「暴力」=物理的または心理的に、対象となるものを損な

      う行為。  言葉・態度も含む。    

      一見、暴力と捉えられる行為が、コミュニケー

      ションとして成立する場合があり、該当する行

      為の対象者が実際に損なわれているかについて

      慎重に確認することが求められる。逆に教育、

      指導、躾けの名目で、暴力が振るわれる事も多

      く、注意を要する。

 「友人」=肉親以外で、価値観・センスなどの親和性が高

      く、関わりの深い人。生きてゆく上での、有力

      な協力者と成ることが多いが、唯の知人を友人

      と誤解する人が高い確率で存在する。

      人生を歩むにおいて「必ず必要な存在」、と考

      える人は多いが、「不要」とする人も一定数存

      在する様である。本質的には不要と思われる。

 「結婚」=法律上の制度。あるいは似た形態で個人間の約

      束による人間関係。社会の基本単位とされる。

      幸福な生活をする為の基盤とされるが、実際に

      は人間形成の為の修行スタイルの一つ。

      「修行」との認識を持たないまま関係を持ち、

      その厳しさに挫折、破綻して後遺症に悩まされ

      る者が多くを占める。

 「離婚」=法律上で「結婚」を解消する事。

      「結婚」の条件として、“双方の合意が前提” 

      とされているにも拘らず、一方が “結婚の合

      意” を破棄しても成立しないとされる、不合理

      な法制度  「結婚制度」の問題点を隠蔽する

      為の対策と見られる。

 「教育」=子供あるいは、その集団で技能・知識などが未

      熟な者に対して行われる指導のこと。能力の向

      上と制御を目的とするが、多くの場合、所属す

      る集団の価値感・取り決めを刷り込むことに主

      眼が置かれる。さまざまな社会問題をもたらす

      主原因となっているが、有効な対策が取られな

      いまま、数千年間行われ続けている。

 「仕事」=人・物の在り方。非常に狭い意味で、“賃金を

      得る為の労働” だが、こちらの意味しか無いと

      して誤用されることが多い

 「家族」=社会の基盤となり、一般的に血縁に基づいた人

      の集団。2~8人程度で構成されることが普通

      であるが、まれに数十人に及ぶ場合がある。

      生活の為に協力し合う関係であるが、内部に問

      題が生じると、関係の解消が困難な為に、最も

      大きな生活の障害となる。

 「常識」=その集団の中で共有されるべき考え・情報。

      「共有されるべき」との前提に拘らず、誰もが

      他者に対して平均以上の周知度・習熟度を期待

      する為に、「常識が無い人間」の方が多数とな

      る宿命にある。

 「金」 =人または集団の “社会貢献度” に対して付与さ

      れる権利を、数量化したもの。ほとんどの社会

      においては、本来の意味が薄れ、“社会習熟度”

      “社会活用力” の高い者が、“社会貢献度” 以上

      の権利を得るようになる傾向が顕著となる。

      永く、幸福度の指標とも見做されて来たが、説

      得力に欠ける部分が有り、異論も多い。

 「宗教」=人が幸福を目的として採用する信条のうちで、

      人より高次元の存在に従って幸福を得ようとす

      る考えで、論理的整合性による担保を必要とし

      ないもの。さまざまな主義、経済・科学など、

      宗教とは区別される信条も、その根拠を突き詰

      めると論理的整合性を欠く為、広い意味での

      「宗教」と言える。

      (論理的整合性による担保を必要としないが故

      に、時に反社会的な思想を露わにして、問題を

      起こす集団が出て来るが、これらは「集狂(し

      ゅうきょう)」と呼ばれる) 

 「仏教」=三大宗教の一つとされる。無数に存在する宗教

      のうちにあって、徹底的に論理性を追求する特

      異な宗教。論理的追及を限界まで推し進めるこ

      とで、論理の及ばない事象によって世界が担保

      されている事を確認し、その中にある人の存在

      も同時に担保されている事を感得しようとする

      テキストおよびメソッド。

      その特異性から、宗教に属さないのではないか

      という議論がある。

 「平和」=人を不安にさせるものが存在しない状態。

      人は、物事を比較する習性が強い為、社会的に

      完全な「平和」は、人類史上存在した事が無い

      が、個人の中にはごく短い期間断片的に存在し

      うる。また極めて稀ではあるが、数年から数十

      年にわたって個人の中に「平和」が存在し続け

      るケースが有るとされる。「完全な平和」は、

      社会的には幻想である。


 キリが無いので、今回はこの辺で辞めておきましょう。今

のところ、私はこういう考え方で納得しています。

 物事は自分が納得出来ていれば、それで事足りるのであっ

て、間違っていたら、そのうち自分が困るだけの話です。

 一つか二つ、“ニヤッ” と笑えてもらえたなら、とっても

嬉しいのですが。




      


0 件のコメント:

コメントを投稿